細島港のほど近くに、江戸時代から続いた有力な商家である関本家の古い住宅があります。かつて熊本の藩士であった関本家は、下関を経て、江戸時代に細島の八坂区に移り住んだと、同家に残る資料に記載があります。屋号を「苫屋(とまや)」と称し、味噌や醤油を中心に取り扱い、代々商業に従事しました。
明治2年(1869年)、細島では、富高・塩見・日知屋・財光寺・細島の民衆による打ちこわし(細島家巻き一揆)が起こります。関本家は難を逃れることができましたが、多くの大店は甚大な被害を受けてしまいました。こうしたことから、明治10年(1877年)の西南戦争では、軍圑被服陣営課の御用商人として官軍に物資を提供し、大きな利益を得て、細島を代表する有力な商家へと成長しました。明治12年(1879)年、九代目勘兵衛は、店をより大きなものにするため、坂が多く土地が狭い東部(八坂区)にある家屋を、分家した弟の安治郎(やすじろう)に譲り、平地の多い西部(現在地)に家屋を建築しました。
関本勘兵衛家住宅は居住空間、商業用の作業空間が同居した、典型的な町家の形式をとっており、主屋、便所、渡り廊下、流し場、風呂場、炊事場、醸造所、土蔵からなります。間口に対して長い奥行きや道路に面する主屋は、江戸時代の様式や手法を感じさせます。
建築に際して「建家之図集(たていえのずしゅう)」を作ったり、明治10年以降に普及し始めた洋釘をいち早く使用している点からも当時の関本家が有力な商家であったことが伺えます。
同住宅は平成9年に市の有形文化財に指定され、15年から一般公開されています。細島みなと資料館、妙国寺庭園などと併せて、細島の歴史ある風景を訪ねてみませんか。
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