◆電波探信儀隊用(でんぱたんしんぎたいよう)発電所跡
第二次世界大戦中の旧岩脇地区には、大日本帝国海軍が使用していた電探(レーダー)と見張所がありました。ここには主に防府海軍通信学校で6か月の講習を受けた呉鎮守府富高派遣隊の兵員らが駐屯しており、海上、空中における敵機の襲来等の情報を収集する任務に当たっていました。その他、電探業務の教育も行っていたようです。北は高知県の足摺岬から、南は串間市の都井岬までの警戒に当たっていました。
呉海軍警備隊の戦時日記や戦後のGHQへの引渡目録から、旧岩脇地区には5基の電探が配置されていたと考えられています。これらに加えて富高特設見張所(探信所)、非常時に備えて常に見張所を機能させられるよう、発電所がありました。電探で得た情報は見張所を通し呉鎮守府、第五航空艦隊に伝達していたようです。見張所や電探、発電機そのものはGHQに引き渡し後、爆破されたため失われていますが、発電所跡が地蔵山の麓に現在も残っています。
旧岩脇地区の電波探信儀隊用発電所跡は隧道(横穴)状で、傾斜した地形を活かし、上空から発見されにくい造りになっています。規模は幅、高さ共に約3m、奥行き約15mを測ります。コンクリート製で、内側は漆喰塗りですが、経年劣化による黒ずみやひび割れが見られます。内部には発電機が備え付けられたと思われる台座が残っており、天井の穴を通して見張所に給電していました。すぐそばには井戸があり、発電機を冷却するために使用されたものと想定されます。多くの戦争関連施設が取り壊されている中で、現存するものは歴史を語る貴重な資料と言えるでしょう。
※当遺構は私有地内にあります。無断での見学は御遠慮ください。
問い合わせ:教育総務課文化財係
【電話】66・1036
<この記事についてアンケートにご協力ください。>