大盛況のうちに幕を閉じた「日向ひょっとこ夏祭り」は、今年も多くのひょっとこ踊り愛好家が参加し、親交を深めました。狐、おかめ、ひょっとこの面と赤い衣装に身を包み、軽快な音楽に合わせて踊る姿は、私たちの目を楽しませてくれます。
明治時代、塩見の永田地区に開業した眼科医、橘公行氏によってもたらされた永田のひょっとこ踊りは、平成4年に日向市の無形民俗文化財に指定されています。踊りのルーツは関東一円で広く踊られていた江戸の里神楽であると考えられており、稲荷信仰に基づいた奉納踊りとしての性格を強く残すものです。
現在は2月の初午に、橘ひょっとこ踊り保存会によって塩見の永田集落センターで踊られていますが、かつては永田地区の稲荷神社に奉納されていました。
永田の高橋家に残された慶応元(1865)年の「ピーヒョロ踊りの由来」には、永田の稲荷神社について、次のように記載されています。「江戸時代の初期、塩見の永田村に住んできこりをしていた老人が、永田山の仙塔庵というところで、作業中に昼寝をしていた白狐に木材で大怪我をさせた。老人は、悲鳴をあげて振り向きながら谷間へ消えていったその狐のことが忘れられず、またそれから永田村には不作や不幸が続き、老人夫婦が近くの神社にお参りしたところ社祠を造るようお告げを受けた。そこで村の人びとと協力して祠を造り稲荷神社として祀ったところ、永田村は次第に繫栄してきた。しばらくして白狐から今度はこちらが返礼したいから願いごとがあれば何でも祈願するようにとのお告げを受けた」その後ヒョウ助とオカメが、子宝に恵まれるよう祈願に行き、永田のひょっとこ踊りの伝承に繋がります。
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