2012年に本市の芸術文化界で初めて名誉市民となられた弥勒祐徳氏が、去る5月16日、105歳で亡くなられました。
弥勒氏は1919(大正8)年、本市に生まれ、1936年に宮崎県立旧制妻中学校を卒業されました。1938年から、宮崎県児湯郡三財村寒川小学校を振り出しに、1978年3月まで県内の小中学校に勤務し、美術教育に取り組まれました。その間の1940年2月から4年半は戦争のため兵役に服されました。
弥勒氏は長年にわたり、地域に根差した創作・発表活動、美術集団の創立や育成などを精力的に推進され、本市だけでなく県内美術文化の振興・高揚に多大な貢献をされたことから、2003年に西都市民栄誉賞を受賞されました。「美術文化の向上は社会教育にあり」と、積極的に社会人の美術教育に取り組まれ、地域の美術文化の向上を目指す『美術集団アートクラブ』(1960年)や、『美術集団アミチー会』(1975年)、そして1992年には『西都市美術協会』を創設されました。
また、書籍『西都風土記』『ふるさと紀行』などを出版して郷土の文化財の保護にも心を配り、絵を身近に感じてもらうため無料の私設美術館を開設するなど、活躍は多岐にわたります。100歳を超えてもなお衰えることのない創作意欲と、気さくでユーモアあふれる人柄で、多くの市民に慕われてきました。弥勒氏の長年にわたるご功績と多くの絵画は、市民の記憶に深く刻まれています。謹んで心から哀悼の意を表します。
■105年の歴史を振り返る
1919 ベルサイユ講和条約が調印
1922 妻線(妻~杉安間)が完成
1931 満州事変が勃発
1945 終戦(ポツダム宣言受諾)
1949 妻町役場が開庁
1952 西都原古墳群が国特別史跡に指定
1958 児湯郡西都町が市制を施行
1964 市役所庁舎(旧庁舎)が開庁 東京オリンピックが開催
1979 国民体育大会が宮崎県で開催
1984 国鉄妻線が廃止
1989 寒川地区の住民が集団移転
1991 ソビエト連邦崩壊、バブル崩壊
1992 宮崎~西都自転車道が全線開通
2001 東九州自動車道(西都~宮崎西)開通
2003 弥勒氏が西都市民栄誉賞を受賞
2010 本市で口蹄疫が発生
2018 西都商業高と合併し、(新)妻高が開校
2020 新型コロナウイルス感染症が大流行
2021 東京オリンピックが1年延期で開催
<この記事についてアンケートにご協力ください。>