■「正安(しょうあん)2年6月15日付藤原家泰譲状(いえやすゆずりじょう)」
都城島津家家臣・本田家が鎌倉時代に、薩摩国山門院(やまといん)(鹿児島県出水市)の領主であった際に作成され、伝来していた本書状。正安2(1300)年6月、藤原(鮫嶋(さめじま))家泰が、相伝してきた山門院針原村(はりはらむら)の田畠(でんばく)や荒野を、子息である熊鬼丸(くまおにまる)へ永久に譲渡することとし、ここに至るまでの関係する証文などは、嫡子である幸寿丸(こうじゅまる)へ譲渡することが記されています。
当時、山門院は島津荘(しまづのしょう)であり、本書状は鮫嶋家や本田家のような有力領主たちが島津荘に存在していたことを示しています。また、土地を譲渡するためには、譲状を作成し幕府から認可状を受領する手続きが必要だったことが分かります。約700年前の鎌倉時代にすでに文書による手続きが重要であったことがうかがえる貴重な史料です。
※都城島津伝承館は、展示設備改修のため3月15日(金)まで臨時休館します
問い合わせ:都城島津邸
【電話】23‒2116
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