■「暦応四年九月日付和泉杉保末軍忠目安状(いずみすぎやすすえぐんちゅうめやすじょう)」
南北朝時代は、各地を治める領主らが北朝方(足利尊氏方)と南朝方(後醍醐天皇方)に分かれて争いが続いた時代でした。
都城島津邸に所蔵されている南北朝時代の史料「暦応四年九月日付和泉杉保末軍忠目安状」には、和泉保末という人物が暦応4(1341)年8月28日に南朝方の加世田別府垣本城(鹿児島県南さつま市)を陥落させ、その戦功を島津資忠(すけただ)によって保証されたことが記されています。この記述から、当時資忠が北朝方として合戦に参加していたことが読み取れます。
文和元(1352)年に「北郷(ほんごう)三百町」(山田町)の土地を与えられて都城盆地へ入部し、北郷氏(後の都城島津氏)の祖となる人物として知られる資忠。都城盆地入部以前の資忠は、兄貞久に従って各地で戦をしていたと記録に残されていることからも、本史料は当時の資忠の動向を示す貴重な史料の一つといえます。
都城島津伝承館企画展にて展示(7月29日(土)~8月27日(日))
問い合わせ:都城島津邸
【電話】23‒2116
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