■「島津伊豆紋覚(もんおぼえ)」
都城島津家の家紋は、島津本家の家紋と比較すると十文字の端と外周の丸の間に隙間があります。家紋の由来や使用の起源には不明な点が多いものの、江戸時代前・中期ごろから家紋の使用に関してさまざまな規則が設けられたようです。
本史料は宝永2(1705)年の文書とされていて、当時伊豆守(いずのかみ)であった都城島津家19代当主久龍(ひさたつ)が身に着けている家紋の丸と十文字の隙間が狭いことを島津家家老が指摘し、通知したものです。こうした家紋に関する統制は、徳川家の葵紋(あおいもん)の使用が制限されていたことが影響していると考えられています。
その後徳川家の葵紋は享保8(1723)年、徳川家の縁者を名乗る悪質な詐欺をきっかけに公用以外の使用が一切禁止されました。江戸時代における家紋は家の権威を示すもので、本史料から諸大名家の家紋も同様の影響力を持っていたことがうかがえます。家紋の重要性や規律統制の政治的・社会的背景を現代に伝える貴重な史料です。
※都城島津伝承館は、展示設備改修のため5月2日(木)まで臨時休館
問い合わせ:都城島津邸
【電話】23‒2116
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