■「足利尊氏御教書(あしかがたかうじみぎょうしょ)」(菱刈(ひしかり)文書)
建武3(1336)年3月28日付で、足利尊氏が自らの花押を記し、大隅国の一部を支配していた菱刈藤平に宛てた本書状。南朝方として都城盆地および大隅国方面で活発に動いていた肝付兼重(きもつきかねしげ)とその一派を追討するため、当時守護職にあった島津本家5代当主島津貞久(さだひさ)の命に従い出兵するよう命じる内容が記されています。同じく、足利尊氏は島津家の家臣で大隅国方面に影響を持っていた本田家にも同様の書状を送っていて、その書状も都城島津邸に保管されています。
後醍醐天皇から離反し一時九州に逃れていた足利尊氏は、建武3年4月に京を目指して進軍を開始。南九州の不穏な動きを封じるため、大隅国周辺の有力な武将らに尊氏方として動いていた島津家と共に戦うよう、働きかけていたと考えられます。本史料により当時の南九州における各武将たちの動静をうかがい知ることができます。
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