■「石田三成書状写」
1591(天正19)年12月に石田三成から島津義弘へ出された手紙の写しである本書状。1588(天正16)年に島津氏を下した豊臣政権は、太閤検地や朝鮮出兵などさまざまな要求をしますが、その一つが人質を差し出すことでした。書状によれば、北郷家(後の都城島津家)は島津家重臣の伊集院家、新納家(にいろけ)とともに人質を常に京都伏見へ置き、島津家の一族や重臣からは4人ずつ7か月交替で人質を出さなければならなかったことが分かります。
豊臣政権が島津領へ進攻してきた際、北郷家は島津本家が降伏しても抵抗を続けました。また、北郷家は島津家内部において強い影響力を持つ家であったため、豊臣政権は北郷家に対して実子での人質を求めたと考えられます。
島津家と豊臣政権の政治的関係を今に伝える大変貴重な史料です。
※都城島津伝承館は、展示設備改修のため、8月2日(金)まで臨時休館
問い合わせ:都城島津邸
【電話】23‒2116
<この記事についてアンケートにご協力ください。>