■「三県鹿児島・都城・美々津分界之図」
明治4(1871)年7月14日に政府によって行われた廃藩置県。この施策は藩を県に改めただけで、実質的な変革とはなりませんでした。そこで政府は新たに改置府県を行い、同年11月までに3府302県を3府72県に整理。これにより「都城県」が誕生しました。
本史料には、当時の薩摩・大隅・日向三国における新たな県境が示されています。日向国と大隅国をまたぐ薄い赤色部分が「都城県」を示していて、北は大淀川以南、南は大隅半島南端、西は姶良・菱刈地域までを県域として管轄していたことが分かります。
明治6年1月には廃県となり、美々津県と合併して宮崎県が発足。わずか1年6カ月ほどの県政でしたが、都城を中心とする県が設置されたことから、都城地域が歴史的にも重要な役割を果たしていたことや、その固有の文化や地域性が認識されていたことをうかがい知ることができます。
※都城島津伝承館は設備工事のため2月1日(土)から2月21日(金)まで臨時休館
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