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【故郷の人物を知ろう】たかおか温故知新(おんこちしん)

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富山県高岡市

■戸出出身の大関/階ヶ嶽龍右衛門(かいがたけりゅうえもん)(1817~1868)

幕末に活躍した階ヶ嶽は、当時最高位の大関にまで昇りつめた力士です。現高岡市戸出生まれで幼名は岩次郎(いわじろう)。草相撲で活躍したのち、1839年巡業で訪れた鏡岩(かがみいわ)に見出され、江戸相撲の二所(にしょ)ノ関部屋に入門。初土俵は同年10月です。1845年、八戸(はちのへ)藩のお抱え力士となります。新入幕(しんにゅうまく)は1848年正月。翌年は2場所連続で優勝します。1854年ペリーが来航し、幕府が米200俵を江戸相撲の力士に黒船まで運ばせた際には、幕内力士の一人として参加します。アメリカ人は、60kgの米俵を2、3俵軽々と運ぶ力士たちに度肝を抜かれました。1855年には、盛岡藩のお抱え力士となり、1856年11月、大関に昇進。しかし翌年正月場所、巨人力士白真弓(しらまゆみ)との対戦で両手を負傷。1859年正月43歳で引退します。年寄名(としよりめい)は熊ヶ谷(くまがたに)、のち2代目武隈文右衛門(たけくまぶんえもん)と名乗ります。のち郷里で相撲を指導し、1868年死去(享年52)。今も戸出の墓地に眠っています。
身長188cm、体重131kg。得意技は上手投げ。通算成績は22場所69勝32負7分4預1無82休(当時は年2場所それぞれ晴天(せいてん)10日)。
郷土浮世絵コレクター佐伯孝夫氏(高岡市福岡町)によると、階ヶ嶽を描いた浮世絵は現在約20点確認されており、その人気の高さがうかがえます。(仁ヶ竹主幹)

問合先:博物館
【電話】20-1572

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