文字サイズ
自治体の皆さまへ

【故郷の人物を知ろう】たかおか温故知新(おんこちしん)

6/35

富山県高岡市

■東西美術交流に尽した美術商/林忠正(ただまさ)(1853~1906) 後編
商才のあった忠正は、美術商の事業を拡大し、パリには弟2人を呼び寄せ、東京本店は妻に任せ、自らは中国やアメリカなどでも活躍します。忠正の誠実な商売は、人々の信頼と尊敬までも集めました。その傍ら、忠正は日本に西洋美術の普及を図るため、美術品を大量に収集し、日本に初めて印象派の絵画を紹介しました。印象派の画家からは美術品の代金の代わりに作品を受けとっていました。また忠正は工芸品をプロデュースして万博に出品しています。1889年、高岡の彫金の名工・横山孝純、1893年には金工家・鈴木長吉と陶芸家・宮川香山(みやがわこうざん)の作品です。1897年には親交がある有栖川宮(ありすがわのみや)、伊藤博文、西園寺公望(さいおんじきんもち)らに日本の万博への参加姿勢(終了後の展示品の投げ売りなど)や危惧を抱いていた日本美術の将来についての意見書を提出し、1900年のパリ万博で民間人初の事務官長として抜擢されます。忠正の厳正な態度には激しい批判もありましたが、万博での日本古美術展は大好評を博します(そんな大仕事でしたが忠正は報酬を受け取りませんでした)。のち日仏両政府より勲章や叙勲を受けました。また世界初の『日本美術史』を日仏両国語で出版するなど、生涯日仏の美術交流に尽くしました。その後は東京に西洋美術館建設を宿願に運動しましたが、惜しくも果たせませんでした。(仁ヶ竹主幹)

問合先:博物館
【電話】20-1572

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU