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【故郷の人物を知ろう】たかおか温故知新(おんこちしん)

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富山県高岡市

■高岡の孝子(こうし)/石瀬屋六兵衛(いしぜやろくべえ)(1755~89)
「孝子六兵衛」こと石瀬屋六兵衛は高岡を代表する孝行者です。六兵衛は一番新町の生まれで初名(しょめい)は弥三(やぞう)。生来(せいらい)大変な孝行者で正直・謙虚(けんきょ)でした。父を早くに亡くし、幼時より米運びなどで家計を支えました。母は大変な酒飲みで酔うと人を罵(ののし)り、地面を響かせて暴れるので「動地婆(どうちばあ)」とあだ名されました。六兵衛は稼ぎを全て母に渡し、罵られても逆らわず心から従いました。千保川(せんぼがわ)の洪水で町が水没した時には酒を飲みたいという母のために、泳いで橋番町(はしばんちょう)に酒を買いにいきました。そんな六兵衛の孝心(こうしん)は隣町まで広まり、皆感化されたといいます。ある時、六兵衛は現末広町の影無(かげなし)坂で赤衣(せきい)の仙人(せんにん)に出会い、「近いうちに幸福を与えよう」と告げられます。程なく町奉行より免税(めんぜい)と銭(ぜに)500文(もん)を、さらに藩主(はんしゅ)より生涯(しょうがい)三人が暮らせる分の米を賜りました。学問や政治において儒教(じゅきょう)が重視された時代、六兵衛の話は『加越能三州孝子伝(かえつのうさんしゅうこうしでん)』(1794年)、『高岡湯話(たかおかゆわ)』(富田徳風(とみたとくふう)著、1807年)等に収録され、徳風は1809年顕彰碑(けんしょうひ)も建てました。現在でも毎年「孝子祭」が行われています。また1935年には市民映画『輝く孝道(こうどう)』も制作されました。
(仁ヶ竹主幹)

問合先:博物館
【電話】20-1572

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