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【故郷の人物を知ろう】たかおか温故知新(おんこちしん)

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富山県高岡市

■女性教育者/神子高(みこだか)たか・武田貞子(たけださだこ)

江戸時代の中ごろ、町民や農民の間で教育が盛んになり寺子屋が増えました。今回は寺子屋を中心に女子教育に尽くした2人を紹介します。

▽神子高たか(1817~86)
たかは修験道当山派(しゅげんどうとうざんは)・大福院(片原町。のち木津に移転)2世金寿院大智(こんじゅいんだいち)の子です。幼少期に金沢の人に文字を習ったといわれています。1833年、弱冠16歳の時に大福院において女子専門の寺子屋を開きました。習字をはじめ裁縫や茶道・華道・和歌などを教えました。また『女大学(おんなだいがく)』の素読や『商売往来』の講義もしました。1日に200人以上も通っており生涯で8,000人もの女子を教えたといわれています。1874~75年頃、高岡育英小学校の教員にも就任しましたが、寺子屋は継続しました。

▽武田貞子(1814~74頃)
貞子は富山藩布瀬村(むのせむら)の十村(とむら)役、高安定義の子です。9代富山藩主前田利幹(としつよ)側室の菊園に習字・読書・裁縫・茶道などを学び、技芸に熟達していました。戸出の富豪で山廻(やままわり)役の竹村屋(武田氏)長兵衛(ちょうべえ)に嫁ぎます。
1864年、家の経営は傾き、夫が亡くなります。3男1女を抱えた貞子は一念発起し、女子専門の寺子屋を開きます。その教育は評判をよび、当時資産家の子女のほとんどは貞子の教えを受けたといわれます。

当時女性に学問は不要とされ、越中では寺子屋に通った女児も多くなく、女性の先生は稀でした。2人は女子教育の功労者と言えるでしょう。(仁ヶ竹主幹)

問合先:博物館
【電話】20-1572

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