■貞節な女性/おきみ(生没年未詳)
文化4(1807)年に高岡の儒学者・富田徳風(とみたとくふう)が著した『高岡湯話(ゆわ)』には、高岡の善行美談が集められており、その筆頭は「節婦(せっぷ)きみ」です。延享(えんきょう)・寛延(かんえん)の頃(1744~51年)、白銀後町(しろがねごちょう)(現白金町(しろがねまち))のおきみは美人でしたが30歳を前に夫を亡くし、機織(はた)おりなどの内職で懸命に幼い一人息子を育てていました。その暮らしが貧しいのを、ある男が知り、隣の老婆を通してお金を贈りましたが、おきみはこれを返しました。老婆が理由を尋ねると、「自分はまだ若く、越えてはならないものを求めることにもなりかねない」と固辞しました。
その夏は米価の高騰に加えて疫病が流行り社会全体が困窮しました。世間の機織り内職の者は預かっている糸、木綿を勝手に売って、米や薬を買っていました。しかし、おきみはそのようなことを一切せずにいました。隣の老婆は「大変に貧乏なうえに、幼子が患っているのを見ると心配でならない。木綿を売って、米や薬を買いなさい。またいつぞやの方も事情を話せば助けてくれるだろう。死んでしまっては親、夫に言い訳が立たないではないか。」と言ってもおきみの信念を変えることはできませんでした。
2、3日後、昼になっても物音がしないので、近所の者が戸をこじ開けて入ってみると、幼子は既に昨日にも亡くなった様子で傍らに寝かせられ、おきみは機織り機の下で行儀よく座り、うつ向いて眠ったように亡くなっていたといいます。
(仁ヶ竹主幹)
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