■40歳、転機再び
禎子さん40歳、ついに過労で倒れてしまったのです…。平日は会社員として働きアフターファイブも満喫、そして週末は茶華道の講師もしていたのですから無理もありません。3日間の入院中に医師から、「仕事ばかりはダメだよ、好きなこともやりなさい」と言われ一念発起、油絵を習い始めました。この時出会ったのが成井弘先生でした(絵画・彫刻の美術団体「二紀会」の理事長)。「最初、私は成井先生のことを何も知らなかったんだけど、実はすごい方だったのよね~」と禎子さん。好きな絵画を続ける上で、成井先生の影響は大きかったと言います。習い始めて3年が経った頃に勧められ応募した「上野の森美術館・日本の自然を描く展」で、見事入選を果たします。そしてその後も10年連続で応募、入選してきたそうです。
■ギャラリー武内への道のり
東京銀座の画廊やデパート、銀行等でも個展も開きました。初めて売れたのは白いドレスを着た女性の絵。作品が売れてこそプロだと常々、先生から聞かされていた禎子さんは、この時ようやく先生に認めてもらえたと思ったのでした。そしていつかギャラリーをやりたいと夢を描き始めたのもこの頃から。2004年上関に帰り、夢を叶えるため旧武内医院の建物をギャラリーとして使うことに決めました。
「ギャラリー武内ができたのは東京での経験があったからこそ。同時に新しい人との出会いや、役場の方々の助けもあったからなのよ」
2016年にギャラリーで行われた、岩谷昇平さん加納簾香さんとの3人展には、町内外からたくさんの来場者があったそう。他にも「懐かしい子供服展」「全国民芸品展」などの企画展を開催したり、トールペイント講師や子どもたちの工作・クラフトの講師をしたりと、持ち前のセンスとクリエイティビティを発揮しながら地域にも貢献してきました。「どのようにしたらお客様が来てくれるか、皆が喜んでくれるかを考えるのが楽しいのよ♪」と禎子さん。ワクワクしたその表情から、ご本人が一番楽しんでいることが伝わってきます。
■人生は巡り合わせと運
「これまでずっと挑戦してきたけど、実は戦うよりも古いものを守る方がエネルギーが必要なのよね」と禎子さん。禎子さんはギャラリーのある旧武内医院と、江戸時代に建てられた実家の古民家の両方を守っています。
「人生は巡り合わせと運。その運は生まれた時から決められているのかもしれないと思うの…」
絵が好きだった禎子さんが大人になって油絵を習いプロとなり、上関にUターンして父と一緒に働いた医院でギャラリーを始め、医院の建物を守りながら父や祖父のコレクション、歴史ある品々を展示しながら守っている。そして実家の古民家も禎子さんが住むことで守り続けている。それらは禎子さんによると、生まれた時から定められていた運=お役目だったのかもしれません。「今後、これらをどのように保存して町のために生かすか考えなきゃいけないところね…」と禎子さん。上関町の未来を真剣に考え続ける、一人のシニア女性の言葉が胸に響きました。
次号に続く…
取材:林未香
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