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しもまちキラリ

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山口県下関市

■漫画家 文月今日子さん
昭和48年、別冊少女フレンド「フリージアの恋」で漫画家デビュー。以来数々の作品を発表しています。
平成18年には下関市芸術文化振興奨励賞を受賞し、今年デビュー50周年を迎えた文月今日子さん。
今も下関で漫画を描き続けています。

●漫画が好きで描き続けて半世紀
◇漫画家になりたい
文月さんが漫画に引き込まれたのは、小学2年生の時。引っ越した北九州市の家の近くに貸本屋があり、夢中になって漫画を読んだそうです。描くようになったのは、読者の応募コーナーがきっかけでした。
「漫画を描いて送ると採用されて、応募することが面白くなって。でも、本格的に物語を描こうとしても、なかなか最後まで描けないんですよ。中学生になると、やっと最後まで漫画が描けたんです。それが、マーガレットの漫画賞に入ったんですよね。佳作かな。それで手の届くところに漫画家っていう夢ができたんですけど。親に漫画家になりたいって言うと笑われるような時代でした」と、当時を振り返ります。
高校では美術部に入部。油絵などを描きながら、家では漫画も描いていました。美術部の先生に薦められ、九州造形短期大学に入学。短大でも漫画が忘れられず、家で描き続けていました。
文月さんに転機が訪れたのは、短大1年生の時。「小倉で『アズ漫画研究会』の方々が漫画をずらっと並べているのを見かけました。『北九州にもこんなに漫画を描いている方がいるのね』と思ってそのまま会に入りました。その会に『編集者に漫画を見てもらいに行くの』って言う方がいたんです。私も一緒に行こうと思って、頑張って漫画を仕上げて、講談社の編集者さんのところへ持って行きました。何人かに見ていただいて『この原稿、置いて行きなさい』って言われたんです。それから、デビューすることになりました」

◇漫画を描き続けたい
学生と漫画家の二足のわらじを履いていた文月さんは、先生の理解を得ながら無事短大を卒業しました。その後、上京して漫画に専念しますが、住みづらさを感じて、北九州市に帰ります。その数年後、結婚を機に下関市へ。「北九州へ帰ってからも、ありがたいことに編集者さんからお仕事が来るようになって、結婚してもお仕事が途切れることなく頂けて、今に至ります」
下関で漫画を描く不便さはなかったのでしょうか。
「下関は人が親切で住みやすいです。アシスタントは、下関からも来てくれるようになりました。原稿が締め切りに間に合わない時は、夫が車を飛ばして、福岡空港から航空便で送ったり、飛行機で東京まで飛んで、担当者さんに渡したりしたこともありました。締め切りに追われて、胃が痛かった」と、懐かしそうに文月さんは振り返ります。
今は畑で野菜や花を育てながら、ペースを落として漫画を描いている文月さん。作品に描かれている花からは観察力、猫からは愛情が感じられます。「これからも、歩けて、おしゃべりができて、猫たちの世話ができて、描き続けられたらいいですね」

●デビュー50周年記念文月今日子展
期間:9月16日~11月26日
休館日:火曜日
場所:北九州市漫画ミュージアム
文月さんが寄託した原画や初公開の資料を紹介。
サイン会や学芸員のギャラリーツアーもあります。
(本紙QRコード)北九州市漫画ミュージアムHP

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