■刀鍛冶・阿部惣左衛門(あべそうざえもん)の力量
今年で錦帯橋は創建350年の節目を迎えました。延宝(えんぽう)元(1673)年10月に錦帯橋の完成が3代岩国領主・吉川広嘉(きっかわひろよし)に報告され、城下町の横山と錦見を結ぶ念願の交通手段が誕生しました。しかし、翌年5月に錦帯橋は洪水により流失し、早速再建工事が行われることになります。今回は、その再建工事に携わった刀鍛冶・阿部惣左衛門(久貞(ひささだ))について紹介します。
阿部家は、もとは出雲国(いずものくに)(現島根県東部)の刀鍛冶の家で、同地域を領地としていた吉川広家に召し抱えられ、のちに広家に従って岩国へ移住します。以後、岩国吉川家に代々刀鍛冶として仕えました。
延宝2年の錦帯橋の再建工事に従事した役人や特記事項をまとめた記録として、「橋方御普請役者注文(はしかたごふしんやくしゃちゅうもん)」という資料があります。この資料は、再建工事に必要な部材として巻鉄(まきがね)(※1)の製作に関する経緯が記述されています。
当初、巻鉄の製作は町鍛冶へ依頼していましたが、彼らは1日に1人で巻鉄0・4本を作るという作業ペースでした。また惣左衛門の子・七右衛門(しちえもん)が製作したところ、生産性は上がりましたが、それでも1日に1人で巻鉄1本を製作するのがやっとという有様でした。
こうした状況を見かねた惣左衛門は、自ら巻鉄の製作を行い、1日に1人で3・5本~4本を作り、大幅に生産性を向上させました。さらに惣左衛門の製作方法を手本にしたことで、町鍛冶たちも1人につき3本の巻鉄を作れるようになりました。この記述から、阿部惣左衛門の鍛冶技術の高さを伺い知ることができます。
錦帯橋の再建や架け替え工事には、阿部惣左衛門以外にも多くの優れた技術者が携わり、昭和25(1950)年のキジア台風で流失するまで、276年もの長い間「不落」を誇りました。錦帯橋が創建以来、その形をほとんど変えることなく現在まで引き継がれてきた背景には、こうした技術者たちの活躍がありました。
※1…桁(けた)や梁(はり)などの部材に巻き止めて固定するための金具
・10月22日まで、岩国徴古館で創建350年記念展示『錦帯橋展 前期「時をかける」』を開催中です
▽岩国徴古館(いわくにちょうこかん)
昭和20年に旧岩国藩主吉川家によって建てられ、その後岩国市に移管された市立の博物館
住所:横山二丁目7-19
【電話】41-0452
休館日:月曜(祝日の場合はその翌日)
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