■冬は天文びより
冬の澄んだ夜空を眺めると無数の星が輝いています。冬は星が最もきれいに見える季節と言われていますが、星は季節によって見えるものが違います。昔の人々は、星を見て自分たちの位置を推測したり、星を含めた天体そのものを神格化したりしていました。
古代中国では、天体を神格化した神「天帝」がすべてを支配していると考え、天帝からの命を受けた徳のある者「天子」が天下を治めるという天命思想がありました。そのため、天体には天帝の意思が反映されていると考えられており、珍しい天体現象を観測すると、その現象から国家の吉凶を占うようになりました。このことを天文と言います。また「漢書(かんじょ)(※1)」などの中国の正史には、天体現象を記録した「天文志」があり、中国の歴代王朝が天文を重要視していたことが分かります。
日本では、推古10(602)年に百済(くだら)(※2)の僧、観勒(かんろく)によって天文書が用いられ、推古28(620)年に天体観測を行ったことが記録されています。7世紀後半から10世紀頃(律令の時代)には、中国の唐の制度に倣い「陰陽寮(おんみょうりょう)(※3)」と呼ばれる役所で天文占いが行われました。天文を占うことに長けた天文博士は、天体の異変を観測すると、天文書に基づき国家の吉凶を占い、その結果を天皇に報告していました。陰陽師(おんみょうじ)として有名な安倍晴明(あべのせいめい)もその一人でした。
江戸時代には、幕府に「天文方(てんもんかた)」と呼ばれる役人が天文占いの仕事を担いました。岩国の歴史を年代ごとに記録した「岩邑(がんゆう)年代記」にも、彗星の天体現象が書き記されています。寛保2(1742)年、東北から出現した彗星について、天文方が上元星だと言ったことが書かれています。
また山代(やましろ)地域の歴史を記録した「山代年代記」では、上元星は好事星や吉星であると記述され、良い星だと考えていたことが推測できます。
現代の私たちが星を見てきれいだなと感じる一方で、昔の人々が天体の運行を読み解き、国家の行く先を占っていたことは大変興味深いものです。
※1 紀元前206年から紀元後8年、劉邦(りゅうほう)が秦を滅ぼして建国した王朝(前漢)のことを記した歴史書
※2 前漢の末期に朝鮮半島の西南部にあった国
※3 中務省の管轄下におかれ、天文のほかに暦(こよみ)、漏刻(ろうこく)、陰陽を扱った
▽岩国徴古館(いわくにちょうこかん)
昭和20年に旧岩国藩主吉川家によって建てられ、その後岩国市に移管された市立の博物館
住所:横山二丁目7-19
【電話】41-0452
休館日:月曜(祝日の場合はその翌日)
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