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ふるさと歴史アラカルト

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山口県岩国市

■幕末に錦帯橋が流れたという噂話

現在私たちは暮らしの中でテレビやスマホ、パソコンなどから多くの情報を得ることができます。ただしその情報が正しいかどうか、意図的でないかなどの判断をすることは大変難しいように思います。また身近に情報を得る手段の一つとして、人づてに聞くという方法があります。これも噂話か事実かの判断は難しいものの、昔から貴重な情報源となっていました。今回は江戸時代後半にあった岩国に関する噂話を紹介します。
慶応2(1866)年6月、江戸幕府や全国諸藩の軍によって編制された征長軍が長州藩を攻撃しました。この戦争は大島口(四国との境)、芸州口(広島県との境)、石州口(島根県との境)、小倉口(九州との境)の4カ所の国境(くにざかい)での戦いだったことから、現在山口県では四境(しきょう)戦争(※1)と呼ばれています。またこの戦争で長州藩が勝利したことが、明治維新に大きな影響を与えたと歴史的に考えられています。
4カ所の戦場は、それぞれ距離が離れていたことから、他地域の戦況を知る手段は、その地域からの連絡を待つか、現地へ確認に行くことが主でしたが、周辺を行き来する人々から聞くという方法もありました。
その中の一つに、征長軍側の人が下関で芸州口の戦況を語ったものとして「小瀬川口(芸州口のうち小瀬川河口部)での戦いは征長軍の和歌山藩が大勝利して、岩国まで攻め入って放火し、ついには長州藩側が錦帯橋を切り落とした」という記録(※2)が残っています。
実際には、錦帯橋を切り落としたという事実はないどころか、征長軍は小瀬川を渡りきる前に長州藩軍によって撃退されたため、岩国領内に入ることもありませんでした。長州藩の士気を下げる目的で語ったのかもしれませんが、下関にも戦況はある程度伝わっていたことから、この話は当時も事実ではないと認識されたようです。
情報の真偽の見極めが重要であることは、今も昔も変わらないことだと言えるでしょう。

※1「幕長戦争」、「長州戦争」、「長州征討」などの呼称もあります
※2「四境戦争一事 馬関口」(『山口県史 史料編幕末維新四』所収)より

▽岩国徴古館(いわくにちょうこかん)
昭和20年に旧岩国藩主吉川家によって建てられ、その後岩国市に移管された市立の博物館
住所:横山二丁目7-19
【電話】41-0452
休館日:月曜(祝日の場合はその翌日)

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