『不便こそ宝』
生活用水が井戸水であったころ、風呂の焚き口は屋外にあるのが普通でした。今どき、雨風が強くて寒い夜に、入浴中の家族のために誰かが追い炊きをする姿は想像もできないでしょう。
文明は、不便さを解消し、電化製品や自動車やスマホなどなどが身の回りを埋め尽くしています。
スマホの使用で私は次のような話を聞きました。SNSでの他人との意思の伝達や交流は非常に便利です。ところが、若者の間で、中高年の上司から送られてくる「わかりました。」などの文末の句点を見ることに恐怖を感じ、「マルハラ」との言葉も生まれているとのことです。
理由は、若者がSNSなどで交信するとき、文章は短く、文末には絵文字や「!」を付けて感情を表現するので、句読点を使うことがないからだそうです。
手紙は、季節のあいさつに始まり、健康を祈念して終わりとします。用件は、句読点の力を借りて自分の思いが伝わるように、祈りにも似た気持ちで言葉を選び、言葉を紡いで書かれます。当然、手間暇がかかりますが、五感を総動員して真心のこもった文面ができあがるのです。
しかし、今後は手間暇のかかる手紙は見られなくなるのでしょうか。かつては、日用品は酒屋、魚屋、肉屋、雑貨屋など、専門化された店で、商品がいる『から』買っていました。現在、必需品はスーパーなどの一カ所で購入できるので便利になりました。
この場合、商品がいる『だろうから』買って『おこう』が多くなりがちです。後日、『だろう。おこう』買いにより無駄な買い物をしたと、ほぞをかむことがしばしばありませんか。
新幹線は美しく居住性に優れ、早く目的地に着くので極めて便利です。しかし、かつてのように、各地の窓外の風景を愛でる旅の楽しさは希薄となりました。
便利な機器は、私たちが欲していることを簡単に手っ取り早く代行してくれます。わからないことは指先一つで簡単に教えてくれます。ここに人工知能が加わると、機器と人とのつながりが一層密となるでしょう。しかし、どのような時代になっても人と人の交わりは必要不可欠のはずです。
不便なことに地道に取り組むことにより、働く喜びと、他人に尽くしたときのすがすがしい気持ちから得られる五感を身につけることが大切だと思います。なぜなら、身についた五感が、人と人とが互いに慈しみあうための豊かな人間性を発揮する礎だと信じるからです。石の上にも三年を宝としたいものです。
平生町人権教育推進協議会
(事務局:町教育委員会)
<この記事についてアンケートにご協力ください。>