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〔郷土史コラム〕やないの先人たちの知恵と汗-中世編

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山口県柳井市

■柳井の大寺院(1)・三ケ嶽に抱かれた清泰院(せいたいいん)
市教育委員会 社会教育指導員 松島幸夫
ここ数年人類は、新型コロナウイルス感染症の脅威にさらされました。また地球温暖化などによる災難が各地で頻発しています。科学が発達した現代においては、それら災難の原因を科学的に分析して対策を立てますが、古き時代の先人たちは災難を避けるため、神仏に祈りを捧げました。権力者たちは仏の霊験に期待して出資し、寺院を巨大化させました。柳井においても想像を絶するほどの大寺院が造られました。柳井にある現在の寺は本堂と庫裡(くり)に墓地が付属している小規模なパターンが一般的ですが、これから紹介する清泰院と野寺(のでら)、高山寺(こうざんじ)の大寺院には、広大な寺域に多くの堂宇(どうう)が建ち並び、多数の僧侶が参集して、読経し、修行し、仏学研究に勤(いそ)しんでいました。
まずは清泰院を紹介しましょう。柳井の市街地を見下ろす上田には、現在白雲山金剛寺があります。この金剛寺は中世に巨大寺院であった清泰院が荒廃した後に、その中の一坊である金剛院を再建したものです。清泰院の創建は平安時代にまで遡(さかのぼ)ります。やがて正和(しょうわ)元(1312)年に大内(おおうち)重弘(しげひろ)が七堂伽藍(しちどうがらん)を造営し、さらに盛時には十二坊の塔頭(たっちゅう)が追加されました。塔頭とは大寺院の寺域内に付属して建てられた別院です。清泰院の七堂として金堂・経堂・山門・晴天堂・地蔵堂・観音堂・荒神堂が建ち並び、塔頭として金剛院・光台坊・東坊・大坊・奥ノ坊・向ノ坊・中ノ坊・大門坊・小迫坊・引寺坊・南ノ坊・西ノ坊がありました。それらの諸堂において、密教の修験が執り行われていたのです。修行僧が三ケ嶽や琴石山の急崖を駆け巡り、体力の限界に挑んで仏の法力を取り込もうとしていました。また膨大な量の写経も行われました。広島県三原市の正法寺(しょうぼうじ)に蔵されて国の重要文化財に指定されている大般若経(だいはんにゃきょう)六百巻は、中国僧の謝復生が柳井の清泰院の東坊において完成させたものです。

問い合わせ:文化財室
【電話】22-2111内線333

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