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〔郷土史コラム〕やないの先人たちの汗と知恵-中世編

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山口県柳井市

■柳井の大寺院(2)・大平山中腹の野寺(のでら)
市教育委員会 社会教育指導員 松島幸夫
中世の柳井には多くの真言宗寺院がありました。中でも余田の野寺は大平山の南麓(なんろく)に広大な寺域を構え、多くの堂宇(どうう)が建ち並んでいました。修行僧たちが大平山の峰々を駆け巡り、山麓に読経の妙声が響きわたり、夕刻には梵鐘(ぼんしょう)の音が余田の村人に安らぎを届けていました。野寺は上野寺(かみのでら)と下野寺(しものでら)からなり、上野寺は12坊の塔頭(たっちゅう)を、下野寺は6坊の塔頭を抱えていました。塔頭とは付属寺院のことで、上野寺の塔頭は、延命坊・閼伽井(あかい)坊・千光寺・東ノ坊・西ノ坊・南ノ坊・中ノ坊・養善(ようぜん)坊・真蔵(しんぞう)坊・松室(まつむろ)坊・歓喜坊・尾崎坊です。下野寺の塔頭は、福楽(ふくらく)坊・谷ノ坊・岡ノ坊・峰ノ坊・東漸(とうぜん)坊・鳥越坊です。
余田の院内に現在、福楽寺(ふくらくじ)が存在していますが、かつて下野寺の塔頭の1つであった福楽坊が再興されたものです。それらを統括する野寺の巨大さが推察されます。上野寺の塔頭の1つであった延命坊に目をやると、健康を司る薬師如来を本尊としていました。薬師如来像は左手に薬壺(やっこ)を持っています。参詣する善男善女に妙薬を施していました。薬師堂の傍(かたわ)らには薬草園があったと推察され、若い僧たちが額に汗して薬草を育てていた姿が想像されます。また閼伽井坊という塔頭がありましたが、閼伽井とは仏に供える水が湧き出る場所です。清水がコンコンと湧き出していました。余田は農業用水が乏(とぼ)しいところで、閼伽井坊から下りてくる水を稲田に引いた農民たちは、ありがたい真言の霊力を感じて合掌したことでしょう。
野寺やその塔頭のほかにも多くの寺院が存在していました。宝積(ほうせき)の地には、かつて宝積(ほうしゃく)寺が存在していました。現在では住宅地に変貌して宝積台団地になっています。宝とは仏法のことを指し、仏法が積み重なって人々が幸せになることを祈っていました。

問い合わせ:文化財室
【電話】22-2111内線333

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