文字サイズ
自治体の皆さまへ

栄冠はいつまでも君に輝く

7/10

山口県防府市

昭和49年8月、防府商業高等学校が夏の甲子園で快進撃をみせた。
決勝で銚子商業に敗れたが、準優勝という快挙に防府が歓喜に沸いた。
あれから50年。決勝で戦った両チームのエースに思い出を語ってもらった

防府商業 背番号1
井神(いがみ)国彦(くにひこ)氏
防府商7-0延岡
防府商10-3福岡第一
防府商6-3郡山
防府商2x-1鹿児島実

防商野球部は、昭和49年の56回大会で夏の甲子園初出場を果たしました。この大会では、決勝で対戦した銚子商業の土屋投手をはじめ、鹿児島実業の定岡(さだおか)正二(しょうじ)さん、東海大相模の原(はら)辰徳(たつのり)さんと、後にプロ野球で活躍した名選手達がたくさんいました。数々の名選手たちと甲子園という舞台で野球ができた事は一生の思い出です。
初戦、延岡高校を7対0で破り、2回戦で福岡第一と対戦しベスト8に勝ち上がりました。初出場の私たちは、強豪校を相手に日頃の練習の成果を一つひとつのプレーに込め、必死に試合に臨みました。私たちは、当時も今も「よく勝てたなぁ…」と、予想を超える展開に戸惑いと自信が織り混ざったような気持ちでした。
そして、決勝戦。0対0で互いに譲らずの展開でしたが、6回裏に銚子商業の「黒潮打線」が襲いかかります。相手に先制を許したと同時に大きく点差を広げられました。試合の勢いが大きく相手チームに流れて行きましたが、私たちは決して最後まで諦めることなくプレーしました。ゲームセットの瞬間、大歓声の中、「ああ、終わった。」と心の中の声が聞こえてきました。厳しい練習の日々はこれで終わり、そして、小さな頃から追いかけた夢の時間が終わった瞬間でした。
閉会式を終えた後、夜行列車に乗って防府への帰路に着きました。翌朝、防府駅に降り立つと、割れんばかりの大喝采で迎えていただきました。「この準優勝旗は、応援をしていただいた防府の皆さんと勝ち取ったものだ。」と胸が熱くなったのを今でも覚えています。
あれから50年の月日が経ちましたが、仲間と夢中になって一つの目標を追いかけることは一生の素晴らしい思い出になります。防府の子どもたちには、リニューアルした野球場で、夢中になってボールを追いかけていただきたいと思います。大谷翔平選手のように、エールを送ります。「野球しようぜ!」

銚子商業 背番号1
土屋(つちや)正勝(まさかつ)氏

銚子商5-1PL学園
銚子商5-0中京商
銚子商6-0平安
銚子商6-0前橋工

50年前に甲子園で戦った思い出は、私にとって「宝物」です。今も一つひとつのプレーを鮮明に思い出すことができます。PL学園との初戦にはじまり、甲子園での試合は一瞬でも気を抜くことができないゲームの連続でした。そして、決勝戦。準決勝で戦った前橋工業との試合で、チーム一同体力を消耗しており、気力を振り絞ってマウンドに立ったのを覚えています。「黒潮打線」と呼ばれた勢いを、果たして今日の決勝でも発揮できるか…。心の奥底では「1点差でもいい。何とか勝ちたい。」と祈るような気持ちでした。
試合は、6回まで両者譲らずの展開でした。「勝利へのよい流れ」を導くことができず、次第に焦りの気持ちが出ていました。そんな中、6回裏の攻撃で6点を取ることができました。「流れ」が変わった瞬間でした。
9回表になり、アウトカウントを一つずつ重ねるたびに、スタンドの歓声が次第に大きくなっていくのがわかりましたが、私は、必死の思いで一球一球を投げ続けました。体力は限界に近づいていました。
ゲームセットになった瞬間は、勝利の嬉しさと同時に、「ああ、これで野球をしなくても済むんだ!」という不思議な気持ちに包まれたのを覚えています。この日まで大好きな野球を無我夢中で追いかけてきました。苦しいときもありました。開放感のような気持ちだったのでしょうね。決勝を戦った、防府商業ナインの皆さんのことも、今もはっきりと覚えています。50年の月日が経ちましたが、お会いすることがあれば、今でも「高校球児」のように話が盛り上がることでしょう。
防府市では、今年7月に野球場がリニューアルされると伺いました。チームが一つになって、白球を追いかける野球は素晴らしいスポーツです。特に子どもたちには、野球をする楽しみ、喜びを味わっていただきたいと思います。そして、野球を大好きになって、50年前に私達が青春の汗を流した場所、甲子園を目指して欲しいと思います。

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU