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道の駅阿武町 道の駅登録30周年記念式典「発祥の地」記念碑除幕

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山口県阿武町

■〝発祥の地〞の誇りを刻む
平成5年(1993年)4月、全国103の「道の駅」が、旧・建設省に登録されました。道の駅阿武町は30年前のこの日、第1号として登録された道の駅のひとつです。
記録を紐解くと昭和63年(1988年)、現在の「道の駅制度」が始まるより、さらに5年も早く、地域の活性化を図り、現在の道の駅阿武町がある場所に「温泉」を軸とした地域物産販売拠点を築く「シーサイド温泉プラザ事業」が計画されていました。
平成2年(1990年)1月、阿武町との親交も深かった、旧・阿東町の「船方総合農場グループ」坂本多旦(さかもとかずあき)代表が、広島市で開催されたシンポジウムで「道路に駅があっても良いではないか」と提案。この発言を受け、NPO「地域交流センター」創設者田中栄治(たなかえいじ)氏(木与出身)の働きかけと、建設省道路企画課(当時)・大石久和(おおいしひさかず)氏らの尽力によって、「道の駅制度」の社会実験が始動しました。
平成3年(1991年)、阿武町は、すでに進められていた「シーサイド温泉プラザ」を引き継ぐ形で、全国で最初に「道の駅」社会実験に参画。現在に至るまで途切れることなく歴史を紡いできました。
そして令和5年(2023年)8月20日、「道の駅の生みの親」である大石氏をはじめ、町内外から多くの来賓を招き、登録30年の節目を祝う記念式典を開催。
この日、除幕された「発祥の地」記念碑は国土交通省(旧・建設省)の協力で、山陰道トンネル工事の「貫通石」に刻まれました。

■村岡嗣政(むらおかつぐまさ)山口県知事
全国初の道の駅である「道の駅阿武町」は、地域住民の交流や農林水産物販売の拠点として、地域活性化の中核を担う施設です。
平成5年にスタートした道の駅制度は、ここ阿武町での取り組みや成果が礎となり、全国に約1,200箇所を数えるまでに普及拡大しました。これも、関係者のみなさま方の熱意と努力の賜物であり、心から敬意と謝意を表します。
道の駅には、地方創生を加速する新たな魅力ある地域づくりのための貢献も求められています。
今後もキャンプ場や温泉を活かし地域の活性化と観光交流の促進を担っていただけることを期待します。

■元・国土交通省技監“道の駅の生みの親”大石久和(おおいしひさかず)氏
コンビニエンス・ストアに代表されるように、「全国のどこに行っても同じものが手に入る時代」となりました。それはそれで大事なことではあるのですが、その一方で道の駅には、逆の価値があります。
「わざわざ道の駅に行かなくては手に入らないもの」がある。そして、それらを生み出しているのは、地元の人たち。
その事実こそが、地域に住み続けていくための元気や誇りにつながるのです。
人口減少時代を迎えた日本を導く「鍵」として、今後も、地域に愛され、地域の元気を担い続ける「道の駅阿武町」であることを願っています。

■「全国道の駅発祥の地」道の駅阿武町の歩み

■道の駅登録30周年記念関連イベントも開催
8月20日に行われた「道の駅登録30周年記念式典」にあわせて、道の駅やABUキャンプフィールドでは各種の催しが開かれました。
道の駅では、恒例の「森里海の市」と同時に「30周年大感謝祭」を開催。
地元の子どもたちが参加しているおなじみ「ABU地域盛り上げ隊」のダンスパフォーマンスや、萩光塩学院吹奏楽部よる演奏、「アロハフレンズ」のフラダンス・ショーなどが会場を盛り上げました。
また、道の駅直売所「あぶの旬館」では地魚の刺身試食会、日本海温泉「鹿島の湯」では湯上りにコーヒー牛乳の無料サービスなど、30年の感謝の気持ちを込めたさまざまな企画でお客さんを迎えました。
また、この日の夕方には、ABUキャンプフィールドの芝生の上で、サッカーチーム「レノファ山口FC」のパブリックビューイングも開催。
現役の選手2人と、元・サッカー選手で「(株)レノファ山口」の渡部博文(わたなべひろふみ)社長も参加。試合が始まる前には地元の子どもたちとのサッカー交流や、料理教室なども企画されました。

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