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奏であう人 ボリューム79(1)

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山形県 クリエイティブ・コモンズ

撮影場所:尚美堂(山形市)

■キーワード 時代と共に歩む山形の工芸品
山形の工芸品の販売や魅力を伝える取組みを行う逸見良昭さんと、笹野一刀彫りの工人である小山泰弘さん、山形系こけしの工人である志田楓さんに、山形の工芸品の可能性についてお聞きしました。

▽小山泰弘(こやまやすひろ)さん(米沢市)
1983年生まれ。米沢市出身、同市在住。30歳を契機に、地元に関わる仕事をしたいと考えていたところ、地元の笹野一刀彫の後継者がいないことを耳にし、幼馴染3人で名工・髙橋清雄さんに師事。現在、3人は工人のグループ「笹野一刀彫おたか三兄弟」として活動している。

▽逸見良昭(へんみよしあき)さん(山形市)
1961年生まれ。山形市出身、同市在住。土産品を扱う(株)尚美堂代表取締役社長。工芸品の工人との対話を重ねながら、オリジナル商品をプロデュースし、時代に合わせた新たな商品を提案している。職人が高齢化する、花笠づくりの承継にも取り組む。

▽志田楓(しだかえで)さん(西川町)
1996年生まれ。西川町出身、同町在住。家業の菊摩呂こけしを絶やしたくないとの思いから、家業を継ぐ決意をする。高校卒業後、デザインや木地挽きを学び、現在は菊摩呂こけし工房の工人として、伝統のこけしやユニークな創作こけしを多数生み出している。

■山形の工芸品が秘めた可能性
今年で創業から88年を迎える土産品店・尚美堂の三代目として、長年山形の工芸品を扱ってきた逸見さんは、消費者のニーズの変化を肌で感じ取ってきました。
そのため、逸見さんは、2015年に山形駅ビルの土産品店を改装するにあたり、新たなコンセプトの店舗にしようと考え、県内各地の工芸品の工人たちの元を訪ねたと言います。
「各地で受け継がれている工芸品は、それまで知らなかったことを悔やむほど、素晴らしいものばかりでした。だからこそ、工芸品に何か新しい要素を加えることで、より多くのお客様に手に取ってもらい、作り手と買い手の橋渡しをしたいと考えたのです」。
尚美堂エスパル山形店は、山形の伝統的な工芸品の今を伝える、セレクトショップとして生まれ変わりました。逸見さんは、工人たちと一緒に商品開発を重ね、従来にない鮮やかな色彩の「お鷹ぽっぽ」やユニークな「創作こけし」などを次々と打ち出し、県内外から注目されるようになりました。逸見さんが話します。
「以前の売れ筋の土産品といえば、地名入りの有名キャラクターのキーホルダーなどでしたが、今は、山形にしかないもの、山形ならではのいいものが求められています。それに見合う価値を、山形の工芸品は秘めています」。

■脈々と受け継がれた伝統を絶やしたくない
一方、笹野一刀彫の小山さんと、菊摩呂こけし工房の志田さんは、地域に根付いた工芸品を絶やしたくないとの思いから、工人の道に進みました。小山さんが当時を振り返り、話します。
「私たちおたか三兄弟のメンバーは、米沢市笹野地区出身の幼なじみで、笹野一刀彫が家業だったわけではありません。三人とも高校卒業後に関東で就職したものの、いつか米沢に戻り、地元に関わる仕事がしたいとの思いを募らせていました。
そんな時に、地元で1200年も続く笹野一刀彫に後継者がいないことを知ったのです。それまでは工芸品には興味がなかったのですが、伝統を絶やすのはもったいない、我々が受け継いでいかなければと思い、三人で師匠の元を訪れ、弟子入りを志願しました」。
志田さんがうなずき、言葉をつなぎます。
「私の場合は、家業が菊摩呂こけし工房でしたが、私も当初から興味があったわけではありませんでした。高校生になり、進路を考える時期に、家業の後継者がおらず、私が継がなければ途絶えてしまうことを強く意識しました。
その頃から、展示即売会などがあれば父に同行し、こけしがどんなものかを知り、少しずつ興味を持ちました。家業を稼げる仕事とは考えていなかった父は、私が継ぐことに賛成も反対もしませんでしたが、私が継ぐと決めました」。
今や、引く手数多の若手工人として活躍する二人は、製作の実演やSNSでのPRも積極的に行い、国内だけでなく海外からの視察や注文があるそうです。

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