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中山町歴史散策 第196話俳諧(9)松田未覚のことその6

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山形県中山町

延宝8年(1680年)、池西言水(いけにしごんすい)選の「俳諧東日記」には、清風(尾花沢)、常之(山形)、未覚(出羽)、柳和(谷地)の句が載せられており、未覚は5句選ばれています。同じころ、一瀬調実(いちのせちょうじつ)選の「俳諧白根嶽」には、吟水(左沢)、秀勝(大谷)、清風(尾花沢)、未覚(羽州最上)の句が載せられていて、未覚の知名度が高いということを示しています。
続いて、元禄2年(1689年)の未覚、等躬(とうきゅう)の選になる「葱摺(しのぶずり)」に、
干鮭に姿は棄ぬ師走哉
の句を載せ、元禄3年(1690年)、北村季吟選の歌仙には、いたずらっぽく、「羽州山住」の頭文字を付し、未覚子の名を用いています。
弥陀よ釈迦よ葉に希多須の月の仏
五月五日武家にん
武家の軒やしゃうぶ刀によもぎの矢
姉の一周忌
五月雨や袖には止ぬ二年ふり(以下略)

■用語の説明
池西言水:江戸中期の俳人。奈良の人。江戸で松尾芭蕉らと交遊。
俳諧東日記:延宝9年(1681年)に出されたとする説もある。
一瀬調実:江戸時代前期から中期にかけての俳人。甲斐(山梨県)の幕府御用の紙漉き業者。
※引用
中山町史中巻第10章第3節文芸と美術工芸から

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