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中山町歴史散策 第191話俳諧(4)松田未覚のこと

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山形県中山町

松田未覚は、松尾芭蕉より6歳年上の江戸で学んだ新進気鋭の医師であるとともに俳人でもあった。
本名を鈴木豊重といい、寛永15年(1638年)に奈良の大和郡山に生まれました。父は下総(しもうさ)領主松平忠弘の家臣で、播州姫路に移った後、慶安元年(1648年)に山形移封に伴って、山形に移り住んだとされています。松平忠弘は、山形在住20年にして、寛文8年(1668年)、宇都宮に移封され、未覚の父も主君に同道しましたが、豊重は山形に残っています。
豊重は、少年の頃から医学を志し、高名な医家である今大路道三玄鑑の門に学びましたが、当時玄鑑は他界しており、直接玄鑑の指導を受けることはありませんでした。少しばかり年代を追ってみると、松平忠弘の山形移封は、豊重誕生より10年後のことで、このとき、江戸で医術の修行に入ったかどうかは詳つまびらかでありません。
当時、職人となるための弟子入りは10年を充てており、大工・石工も同様の修業を経て一人前の賃金を得ていることから、医術もまた未経験者にとっては、少なくともこの程度の年月は必要だったのではないか、と推察されます。
したがって、20歳代前半はまだ江戸にあって、寛文8年の宇都宮移封時に父と同道せず、当町の長崎の医家新貝家に出入りをしていることから、寛文5年前後に医術修業を終えて来形したとも考えられます。

■用語の説明
移封:大名などの領地をほかに移すこと。

※引用
中山町史中巻第10章第3節文芸と美術工芸

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