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中山町歴史散策 第194話俳諧(7)松田未覚のことその4

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山形県中山町

服部文右衛門家所蔵の「追善俳諧」に納められている35句の中には、追善俳諧には似つかわしくないものもあります。また、姉の一周忌のためのものらしいのですが、付録の文章がないので、どなたの追善なのかも不明となっています。しかし、この「追善俳諧」で、定章と未覚、また恐らく未覚の弟子であろう未辨などの存在がはっきりとしました。服部家一族や交際する人々の中にも俳諧をたしなむ者がいて、特に定章と未覚は歳頭として迎えられていたということが推し量られます。
長崎の新貝家は、忠清の祖母が左沢貫見の松田彦次郎家の出であり、未亡人は左沢の医師で俳人の花山抱琴の娘です。このような関わりから、松田の姓を名乗り、師匠未得の一字を受けた俳号の未覚を持って左沢に移ったものと考えられます。
当時、左沢は松山藩領で、後に松山藩主となる酒井忠預が、その母が左沢の郷ごう士しである保科主計の娘であることから、幼少の頃、左沢で育てられました。14歳の頃、俳号忠宗の名で句作を始めており、松田未覚の指導で上達したといわれています(「大江町史」より)。このように、年代を追ってみると、未覚が長崎にあったのは、長くても十数年のことであろうと思われます。

■用語の説明
追善:死者の冥福を祈って生存者が善根(よい報いを招くもとになる行為)を修めること。
郷士:江戸時代、城下町に住む武士に対して、農村に居住する武士のこと。

※引用
中山町史中巻「第10章第3節文芸と美術工芸」から

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