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中山町歴史散策 第198話俳諧(11)俳諧歌枕と俳諧発句その1

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山形県中山町

文新田の服部文右衛門家文書の中に、「俳諧歌枕」のほか数種の小冊子が残されています。
「俳諧歌枕」は、縦14センチメートル、横18センチメートルの袋綴じ70ページにも及ぶものです。奥付には次のような小文が記されています。「これは宝暦8年4月26日、米沢御家中梨本甚蔵殿より借り申候而、うつしたるもの、これは梨本甚蔵殿の書なり」とあり、その最後尾には、直径3センチメートルの丸判の中に、「」、その真下に印刻の「服部」、右に長崎、左に文新田とあります。巻頭の文章は3枚にわたって俳諧歌枕の序文が記されており、蓮二坊こと各務志考の直筆ではないが、なかなかの筆遣いとなっています。(以下原文のまま。)

俳諧歌まくら
其序 蓮二坊
ことし長月のはじめ出羽なる風草のぬし此山里をたずね来れり、されば股引の引はへたる百余里の旅人とも見えず、彼山の何尾主に便りせられて獅子門の園に肘を曲げて一夜の侘をならハ無とや、実に其人の生質を見れハ俳諧の名に身をかざらず、俳諧の利に世をわたらず。
遠く其国を其人を等しく風雅のちぎりをむすびおかハ月雪花の折りおりにとへハ出羽の国ハへだつとも越路の風の便りを忘れじと也、しからば人の盛衰にまぞハず老後の楽しみを知れる人とはいうべし。
ここに和歌の旅寝の歌まくらによせて、篇・序・題・曲・流之五品より獅子門の一同に差ゆるされ、是より心の緬に鞭うちていなばの山のちかく尾府の名にある人々をたずね、伊勢路ハまして長月のいざ宵のころとからめそれより都の秋の名残に桜ハ春にさくとて、ちる柳の陰にかくれし家のあるじの老や頼とすべし
かくて五歌仙の優游に一挙万里の姿情をつくせハ歌人の居なからむといふべし、名所もあるきてしらべれハ唐の芳野はいざしらず、千とせを園とよめハ老木の花のたのしみなるべし
享保戌申九月 日

※引用
中山町史中巻第10章第3節文芸と美術工芸から

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