岩谷信仰全盛の頃、瞽女の間で三味線に合わせて昔語りを口演することがありました。これは、宿借りの返礼であったり、乞われて口演することもあり、親孝行や因果応報、武勇談などさまざまな演題があったのでしょうが、残された資料は見当たりません。
似たようなものに、「祭文(さいもん)」と称する浪曲の起源となった口演物は、いくつか近村に残されていましたが、その中でも瞽女の間で口演された「瞽女説地震身上」は、文政11年(1828年)に新潟で起きた大地震の悲惨さを語った長編ものです。
多分に脚色され、時には涙をさそい、時には親子の情愛にふれる箇所や教訓もあり、その節回し、声色によって多くの聴衆の喝采を得たことだろうと想像できます。もともと、瞽女の元締めが所有していたものでしょうが、長崎の西町の名主斎藤太(多)蔵家が長く瞽女宿であったことからいつしか瞽女口上台本のいくつかは斎藤家に保管、所蔵されてきたものと思われます。
当時の作品の脚本は、武士や豪商、豪農で筆の楽しみに書くことが多く、自らの名を公表できないことから、珍妙な筆名を用いることがありました。この「瞽女説地震身上」も、表紙には「気侭屋蝶右衛門」「泣和津地声大夫」の名があり、裏表紙には滑稽な表現があります。
三味線 天罰阿太郎、浮世波太郎
作者 異見勇右衛門
書林住所 何所モ此通リこまり町南部庄右衛門
と書かれてあります。いずれも駄洒落で、作者は「異見言右衛門」、口説(口演者)は気侭屋蝶右衛門、泣和津地声大夫の名は、有名狂言師の名を下敷きにしたもので、発行所は「イズコモコノトオリコマリチョウ」とは笑止千万な話です。
■用語の説明
瞽女:江戸時代から昭和の初め頃まで、三味線を手に縁のある村から村へ旅して歩く、目の不自由な女性たちのこと。
口演:口で述べることを指し、主に講談、浪曲、落語、紙芝居など口で語り演じるものをいう。
※引用…中山町史中巻第10章第3節文芸と美術工芸
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