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中山町歴史散策 第201話俳諧(14)俳諧歌枕と俳諧発句その4

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山形県中山町

文新田の服部文右衛門家になぜ「俳諧歌枕」が残されたのかということについては、後書きにある「梨本甚蔵」なる人物が鍵となるようです。当時の長崎村・達磨寺村は、漆山代官所付の村で、宝暦3年(1753年)に米沢上杉藩預り地となっており、そういう由縁か、この梨本甚蔵は米沢藩士であるようで、彼が所有している「俳諧枕歌」と称する表題の書が、彼自身によって写し書きされたと見られます。句を書き連ねた最後尾に、柳且の名で一句記されています。
虫の声も次第に遠き霜夜哉という句で、秋も盛りの頃の季節を読んだものと思われます。日付については、「宝暦五九月」と記されています。この柳且の号は、何処の句、連歌にも見受けられないことから、あるいは梨本甚蔵その人の号かもしれません。
梨本氏自身、俳諧に親しみ、漆山陣屋の預り地の管理に勤務する中で、領内の俳人とも親交があり、服部家に足繫く出入りしていたものと思われます。
ただし、奥付の「梨本甚蔵殿よりかり申し而うつし候、是は梨本甚蔵の書なり」とあるのは、梨本本を借りて服部家の手で写したとみるべきか、少しばかり判断に迷うところです。しかし、表紙から末尾まで同じ字体であることから、ひとりの手で写されたものに違いありません。この書は、果たしてどれほどの当地の俳人に親しまれたか、俳諧の開催記録は見当たりませんが、今後の資料の発見に期待したいところです。
このほか、もう一冊の俳諧手引書があります。30ページほどの「俳諧発句」なる句書が平成12年に石沢家に残された文書の中から発見されました。裏表紙には稚拙な字体で、
蜻蛉やすすきをゆらすふり見せず
の句と、「天明七未年鈴木蝶宇蔵書」とあって、「此本いづ方へ来り候共此方江御かへし可被下候」の文字が見えます。

※引用
中山町史中巻第10章第3節文芸と美術工芸

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