~新庄開府400年(2025年)に向け、新庄の貴重な文化財(たから)を巡るシリーズ~
第32回 まかどの地蔵/市指定史跡
接引寺(しょういんじ)山門脇にある地蔵は、新庄まつりのきっかけとなった「宝暦の飢饉(ききん)」の餓死者を供養するために建てられたと言われています。現在も、春秋の彼岸に参拝する人々は、この地蔵にぼた餅を食べさせる習慣があります。元々は芭蕉(ばしょう)ゆかりの史跡「柳の清水」(金沢新町)の近くにあり、街道の曲がり角にあったため、「まかどの地蔵」と呼ばれるようなりました。
1881(明治14)年に明治天皇が東北巡幸されるにあたり、国道の改修が行われた際に、現在の場所に移されたとされています。令和2年に市の史跡に指定された「まかどの地蔵」は、新庄まつりの山車行事などと同様に、新庄藩を襲った宝暦の飢饉を後世に伝える貴重な文化財となっています。
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