■「継続する」ということ
~広報あさひまち800号に感謝を込めて~
何でもそうでありますが、物事を継続すること、それ自体が一つの才能であり力であります。
「そんなことは誰にでもできる。簡単なことじゃないか」そんな言葉が飛び交う、夏休み明けの小学校の教室。夏休みの自由研究での「お天気しらべ」。羽(はね)を伸ばしたくなる自由な時間。そんな夏休み。毎朝決まった時間に、決まった場所で天気と気温を記録していく。ただこつこつと、同じ作業を同じ時間に、毎日毎日続けていく。
確かに作業自体は簡単なことかもしれません。しかし、これを継続するとなると、話は別です。そこには忍耐と努力と真面目な人間性が大きく関わってくるのです。これを成し遂げること、それこそ誰にでもできることではなく、忍耐などその人の素養に拠るところが大(だい)になります。
昔読んだ本の中に、こんな逸話がありました。それはあるみすぼらしい姿をした人間が、ある時、ふと思い立ち、来る日も来る日も長い長い階段を上り始めたというのです。その階段は雲をも突き抜け、高い高い天空のそのまた先まで続いていました。今までその階段を自分の足だけで上りあげた人は一人もなく、またそんな無謀な挑戦を考える人すらいませんでした。人々は彼を嘲(あざけ)り馬鹿にし、笑いものにして楽しんでいました。それからかなりの年月が経ち、彼の髪も髭(ひげ)も伸び放題。衣服もぼろぼろ。履(は)いていた草履(ぞうり)など、もうとうの昔に擦(す)り切れて、はだしの足は肉刺(まめ)が潰(つぶ)れ、硬い硬い靴底のように腫(は)れ上がっていました。それがいつの頃からか、昔馬鹿にしていた人々は彼の歩みを固唾(かたず)を呑んで見守っていたのです。気の遠くなる歳月をかけ、彼はついにとうとう頂上に辿(たど)り着くと、誰言うともなく彼に手を合わせ、彼の姿に涙ぐむ者まで現れたというお話でした。
どんなに小さな事柄であっても、「継続」はその歳月の積み重ねによって、より尊いものとなるのです。
朝日町長 鈴木浩幸
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