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自治体の皆さまへ

ーわたしと金山ー No17

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山形県金山町

林 寛治(かんじ)

■屋内運動場、グランド整備、野外プール完成、竣工式へ
1978(昭和53)年夏過ぎに現在の校舎が完成しました。教職員、生徒共に慌ただしく木造校舎から新校舎に移動しました。これまでの木造校舎を解体して、その跡地に屋内運動場を1979年春までに完成するようにと教育委員会を通じて金山町から指示されていたからです。
屋内運動場(以下、屋体とする)とグランド、プールの設計は校舎工事中に並行して始めましたが、屋体の与条件は、各学年2教室の規模から、小さくなりすぎては困るということで、小学校施設の予算では足りず、青年向けのバスケットボール・コートを持った社会体育施設を兼ねたものとすることになりました。冬期間、雪解けが遅い積雪寒冷地であり、2、3クラスが伸び伸びと走り回れる、屋内運動施設を確保したいという金山町・教育委員会と町議会双方で連動した前向きの姿勢を強く感じました。
屋体としての有効面積を生かすために固定のステージとはせず、12m×6mの電動ステージで床下から上下させます。ステージ下部は900脚の折りたたみ椅子の収納スペースになっています。
屋体平面積968平方メートルの切妻の屋根面積は1000平方メートルを優に超えるので、楯山裾側にも余裕を持たせた自然落雪を計ったのですが、後に山崩れ止の頑丈な擁壁が設けられ、特に屋体楯山側は、落雪用地としては迫りすぎた感があります。
構造は下部・用器具庫部分はRC造で固め、下部に打ち込まれたH形鋼柱に大・小丸鋼全溶接トラスで大屋根を受けています。
新校舎の駐車場を兼ねた西北側のアプローチには昭和10年代に建てられたドイツ下見張りの校舎も残してあり、No15の航空写真の白く見えるグランド部分西半分に新校舎を計画しました。
敷地ギリギリの範囲で工事が行われたのです。資材搬入等、工事関係車両の出入りが児童生徒の登下校と重なる場合もあり、双方の安全管理が大変難しかったのが記憶されます。
現在のグランドは、当時は1mほど下がった私有地の田畑であり、町有の学校用地ではなかったのです。屋体工事に伴って町は一段下がった田畑を購入し、新グランドスペースとして11640平方メートルを確保しました。基壇と並行した100mの直線コースと一周200mのトラックを設けました。排水効果を高めるために地盤面下には延1070mの透水管を埋設しております。
結果として、楯山の山裾に沿った木造校舎跡地を必然的に全体計画の軸線としました。
グランド造成に先んじて16m×25m・水面面積400平方メートル・8コースのプール計画を実施しました。安心感のあるステンレス・プールとしましたが、塗装による仕上げで金属感を消しました。コロナが長引き現在の使用状況がどうなっているかが気になるところです。
金山小学校・校舎、屋内運動場、グランド整備、野外プール、全体の竣工を待って、1979(昭和54)年4月11日に屋内運動場で竣工式が行われました。早稲田大学出身のボニージャックスが数曲を歌ってくれた地味ながら、心温まる竣工式でした。
以前の中田小学校、昨年春の有屋小学校、明安小学校が金山小学校と統合されたことを伺い、今回は、金山小学校建設小史として記しました。

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