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ーわたしと金山ー No18

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山形県金山町

林 寛治(かんじ)

■景観審議会委員としての雑感
前回(17)まで金山小学校建設に至った経緯を記しました。
竣工35年目の2013年に耐震補強工事に合わせて一回目の大規模補修工事を行なわれ、内外装は一新されました。校舎設計に際して、建設予算に公的機関の補助金を得るために、当時の町教育委員会からは山形県条例の順守を厳しく求められました。私と構造担当の剛設計は教委の指示に従いました。当時の県条例では最上郡内の積雪基準は1mとなっており、私はこれに合点がいかず、その後に続く屋体設計をはじめとしての拠点施設は、すべて積雪荷重を2mと設定して算定する旨を町長に伝え、了承を得て建築確認を取り実施しました。その後に新しく施行された諸法規に従った役場庁舎の耐震補強工事は2千万円以下で納まり、現町立診療所は耐震診断を経て耐震補強工事無しとの判定をいただきました。
話は変わりますが、2か月前の8月はじめ大堰公園に故岸宏一元金山町長の胸像が移設されているのを見て驚きました。胸像建立についてどのような経緯でなされたかは、当初、誰からも伺っておらず、全く知りませんでした。後に有志の方々の御芳志により製作され、一十の敷地一部が削られて設置され皆で祝った由は、町内関係者からも聞きました。
宏一町長が長く金山町民から支持をいただき、町政に全知全霊を挺したことは直接見聞しております。しかし、まちづくりによる、町の繁栄と成果は、町長個人の力によるものではなく、歴代町長、まちづくりに協力参加した金山全町民および諸先輩の力によるものだ!と常々申していたことを直接知見しております。また当然ながら、建築物や記念碑に町長の個人名を記すことなどは厳禁しておりました。
時を置いて、私は有志代表のお一人である当時の町議会議長柴田清正氏に「この度の岸宏一像に関し、そのお心遣いに深く御礼申し上げます。しかし故人生前の信条と心情から顧みても、その遺志に反することになりますので、公に設置すべきではない」との意を込めてお便りいたしました。
金山町の街並み景観を考える場合、大堰公園は大堰、イチヤマ木小屋、楯山の眺めなどを取り込んだ街並み景観の起点になっており、周囲全体の調和を図って片山教授がデザインした重要拠点です。その美しさが思いもかけず胸像によって空間のバランスが完全に破壊され、また故人が最も忌避した個人像の設置によって町民公園としての格調を失わせています。このままでは、胸像を発案され、ご芳志下さった方々の善意が「贔屓の引き倒し」になってしまいます。
もし、可能であれば、一十の土蔵西側辺りに移設するのが、目立たず、故人に最も安らぎを与えるのではないでしょうか。
以上は、僭越ながら私見を交えた景観審議会委員としての所感です。皆様のご意見もいただければ幸いです。

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