林 寛治(かんじ)
■金山町立診療センター(2)(旧金山町立病院)
旧町立病院のある辺りは、かつては山崎裏の田畑と低木林だった一帯で、農村環境改善センター(現在は中央公民館)と金山町老人福祉センターと合わせた公共施設ゾーンとして金山町が決定したものです。有屋方面から続く県道73号線の延長道路と、荒屋を経て朴山に至る道路の交差点に位置し、周辺各集落群からの交通の便の結節点であるし、ひろびろとして日照・通気・眺望共に得る最良の環境です。
病院は静謐な環境で心穏やかに過ごせることが大切ですから、控え目な外観にすることを目指しました。建築が周囲の自然風景や環境を破壊してしまうと、なかなかもとには戻せないので、上台峠から見て目立つ建築にしないことも特に意識しました。上台峠から見下ろすたびに、金山町の集落群を遮って、旧称金山高校の白い妻壁が突出して目立つことが気になってしまいます。
敷地は前面道路から西側の金山川に向かって標高が下がっていくのに伴い、敷地内に約4mの高低差があります。駐車場から車寄せを経た玄関と待合室、外来各診療室がある階は建築としては2階にあたります。金山では待合室を一種のサロンと位置付け、受付事務室、救急室、薬局、売店自販機、相談室と隣接させました。この組み合わせは意外と珍しかったようで、医療専門誌でとりあげてくれました。ただし受付事務室は50床の病室持つ病院としては、狭すぎたかもしれません。
感覚的には地階となりますが、玄関・診察室階から見ての地階は建築としては1階です。ここには50床の病室に対応した余裕のある厨房と放射線診察諸室、そしてリハビリ室があります。ピロティ―と駐車場に面した内庭は、当初はリハビリガーデンとして使う計画でした。
一般病床を50床確保することが病院を新築するにあたっての町からの第一条件でしたが、平成20年に規模を縮小して「病院」から「診療所」に、そして令和3年には「無床診療所」になりました。運営規模を縮小したことで、3、4階にある計50床の病室だけでなく、1階の厨房や4階食堂、後に改造した老齢者・障碍者用浴室も未使用状態にあると聞いています。建物は昭和57年(1982年)の竣工ですが、先年の耐震診断では耐震補強工事不要合格との判定を得ています。しかし人が利用しない建物は傷みが早まりますので、有効かつ経済的な活用を考える時期に来ているのではないでしょうか。
例えば3階病室部を町内の小・中・高校生向けの介護・介助等の課外実習教室、あるいは専門の介護者希望者の研修施設とするなど、ボランティア活動も含めて老若合同で様々な催事・交流に活用できるでしょう。あるいは病室と浴室等も介護家族同伴で活用するシステムや、災害時に3、4階共に被害を受けた高齢者、障碍者の町民を優先して受入れる体制が整っていればより有効です。そういった期待も込めて、本稿の表題は「金山町立診療センター」としました。
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