『土曜の朝』
後藤幸平
明朝五時、飯豊町を発って東京に向かう。東京飯豊会と町が共催するあきる野市秋川渓谷での本格的な大芋煮会に集う。何十年も前、故郷を離れ懸命に暮らしを立ててこられた人々。みんなまちがいなく米坂線を使って故郷を旅立った。金の卵と言われても家族との別れは辛い。ホームに残される母と小さなカバンを握りしめ前を向く若者たち。列車は無情にもぐいぐいと両者を遠ざける。そしていま故郷の発展を祈りつつ熱い視線を私たちへ投げかける。あのとき、特別な役割を果たした米坂線は、たった一日の豪雨で打ちのめされ、一年以上経っても動かない、線路は草で蔽(おお)われたまま。この現実をどう説明しようか。
たまらず家の外へ飛び出した。ひんやりとした冷気が肌を刺す。秋は確実に冬へと歩み出した。紅葉を待たず散ってしまった落ち葉を無言で掃く人がひとり。人通りは少なく、昭和六年八月十日、米坂線開通を祝う萩生商店街列車時刻表に記されたたくさんの店は数軒を残しもうほとんど残っていない。
便利さや品揃えで、個人商店はとても大型店にはかなわずあっという間に姿を消した。そして買い物難民などという言葉が闊歩(かっぽ)する。小さきものが大きなものに飲み込まれることが常態化し、大きな傘に入ることで身を守ろうとする。ネットの口コミ欄をのぞけば弱い者いじめとそれでも懸命に進もうとする人々に容赦ない非情な言葉を浴びせかける発信が目につく。いま、分断と不寛容の時代、と誰かが言った。
困っている人に手を差し伸べる、打ちひしがれている人にやさしく寄り添う、そんな思いやりや慈愛は、人間に与えられた特別な精神であるはずだ。先日、町村会研修で島根県雲南市の住民自治「小規模多機能自治」を学んだ。小さな地区の集まりが多様な課題解決の連携へと発展し人材が育っていった。支え合うこれからのまちづくりのためここから学ぶことは多い。飯豊の辞書に「分断と不寛容」は無くていい。
枯れ葉舞う土曜の朝、明日を想う。
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