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【連載】随想 町長の見て歩き(159)

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山形県飯豊町

『温かい師走を』
後藤幸平

山また山を越え続けるようにしてことしも一年が過ぎた。肉体や精神はいつか間違いなく終着駅に到着する。にもかかわらず走り続ける。
都はるみの歌にある『女の海峡』。聴かせる、いや、泣かせる歌である。「…東京をすてた女がひとり汽車から船に乗りかえて北へ流れる夜の海峡雪が舞う」。この場面は「私の明日はどこにある…」と、夜の海峡をひとり旅する女が主役である。男と女の別れの情景であると同時に生きることは所詮こんなものだという暗示でもある。
そうなると気がかりなのは放浪の俳人「山頭火」の姿だ。何もかも失ってあてのない旅を続けた。自由とひきかえに酒以外のものを放り出そうとした。
・分け入っても分け入っても青い山
・捨てきれない荷物のおもさまへうしろ
・お地蔵さんもあたたかい涎(よだれ)かけ
はるみ演歌も山頭火の句も、道なき道を歩いて目に映るものや心に浮かぶものを詠うたっている。そこに哀愁や憂鬱、自戒はあっても、分断と抗争、人を責め立て問い詰める不寛容を見つけることはない。はじめから自分にないものを持っている世界があることが前提になっているからだ。
師走の喧騒の中、ジングルベルのメロディを聞くと思い出す。枕元にそっと置かれたクリスマスケーキ、初めて知った味と香りはサンタクロースの存在を確信するものだった。『サンタクロースっているんでしょうか』という、子どもの読者の質問に新聞社は何と社説で答えた。「目に見えるものや自分がわかることだけが全部だと思ってはいけない、思いやりやいたわりが目には見えなくてもちゃんとあり、潤いある暮らしが成り立っているように」と綴(つづ)り感動を呼んだ。その社説が本となり、今も書店に並ぶ。
かつてイザベラ・バードは置賜の地を訪れて「鋤(すき)で耕したというより、鉛筆で描いたように美しい」と表現した。その鉛筆の製造が飯豊町で始まる。「この地を訪れたことを生涯忘れない」と絶賛したバードの言葉が甦る。温かくうれしい師走を。

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