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【連載】随想 町長の見て歩き(153)

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山形県飯豊町

■『奇跡』
後藤幸平

頑(かたく)なと思われるほどに土にこだわり、玄関の扉を開ける直前まで土を踏みしめて家の中に入る。雨が降り出すと靴に砂や泥がつき汚れるのはやはりいやで、芝を張った。日当たりが悪いせいか何度も張り替え、水やりや施肥を工夫しても、ぐんぐん伸びる年があれば元気なく心配になる年もある。植物は生き物だし、土もまた微生物が生息する小宇宙だから、夢ある未知の世界だ。コンクリートや構造物で固めまくるのは粋(いき)な行いとはいえない。
そもそも、水の惑星、地球誕生の歴史は神秘な偶然に満ちており、有機物や生命が存在することは奇跡といわれている。私たちがこうしてこの世にいることが偶然のなせるわざであり、ましてやかけがえのない友人や同僚、家族、地域の方々など心通わせる人々と共に暮らしていることは、奇跡掛ける奇跡ぐらいの貴重なことなのだとつくづく思う。にもかかわらず、なぜ争いは続くのだろうか。どのような理由があっても命を脅かし軽視する行為を正当化することはできない。もちろん自分の命だって自分だけのものではない。
なぜ土にこだわるか。心を和ませ、癒し、活力を呼び起こす力を植物や農ある暮らしが持っていることは確実だからだ。土を耕し種をまいて水をやる。若芽を育て茎や花に身を寄せる。そこから生まれるパワーをどう表したらいいのか。現代人はそれを忘れてしまっていないか。植物の力は実りにばかりあるのではない。収穫は不確実でリスクが高いし、売ろうとすると満足するお金にならないことが多い。ただ、栽培したものを食べる、食べたいものを作る、好きな花木を植える、となるとまったく事情が違ってくる。
社会の発展には経済の成長が欠かせない。そこに天井知らずの競争が生まれ将来の危うさが指摘され出した。ROE※や資本力の強さばかりが評価の対象になってはいい世の中にはならない。そこに気が付き出して、自然環境を大切にし、貧困や格差をなくし、農を再評価しようとSDGsの目標と指標が出現した。それを奇跡というのか、必然というのか、まだ誰も知らない。

※自己資本利益率

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