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【連載】随想 町長の見て歩き(154)

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山形県飯豊町

■『花小路文学賞』
後藤幸平

私がなぜそのことを知ったのか、一回だけで終了したのはなぜか、花小路文学賞の最優秀賞に輝いた『夏の終わりに』。作者はその後どうしているのか、何もわからないまま何年か過ぎてしまった。作品の内容に惹かれずっと脳裏に残っている。作品を発表する限り、評価を期待しない人はいない。文学賞を受賞しプロの作家として身を立てるチャンスをねらう姿をどうしても思い浮かべてしまう。しかし、『花小路文学賞受賞作品夏の終わりに』はそうではなかった。
花小路は山形市七日町にある飲食店街である。物語は、長く介護し続けた母を送ってひとり馴染みの店の暖簾をくぐるところから始まる。既に父親も連れ合いも今はなく子どもたちも独立して、孤独から逃れるようにカウンターでビールを飲んでいる。そこに深紅のネイルの若い女性が現れ「空いてる?」と語りかけて隣に掛ける。その後の展開と結末は作品を読んでほしい。過ぎ去りしものへの思いと邂逅(かいこう)が胸を打つ。
梅雨とはいえ朝の四時ごろはひんやりとした冷気に包まれて、東の空は日の出前の光が放たれている。ゆっくりと庭に咲くあやめの花の前に腰を下ろして今日も昨日の花びらが無事であることを確かめて安堵する。十日ほども咲き続けるだろうか。いずれ静かに小さく縮んで終える。そのときなんとその脇から命の再生と思わせる丈夫な同じあやめの花のつぼみが顔を出す。あやめは二度咲くのである。風で折れた庭木の枝を挿し木で復活させたとき、理由もなく咲かなくなったバラでも養生し続けると新しい芽がつくことがあったり、蘇(よみがえ)る命の連鎖に感動する。
歌丸の金鐘寺の鶏小屋が火事になって、何匹もの鶏が犠牲になった。食べ残しや野菜クズなど人々が捨てるものを食べて人間の命を育んだ鶏への感謝と供養の言葉が綴られた挨拶状が届いた。鶏の命は人々へ継承されるという。
花小路の『夏の終わりに』は、過ぎ去りしときは帰って来ることはなく姿形は移ろいゆきても、心のつながりは永遠のものであることを伝えようとしている。

注:『夏の終わりに』の全文はインターネットにて「花小路文学賞 夏の終わりに」で検索すると読むことができます

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