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【連載】随想 町長の見て歩き 160

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山形県飯豊町

『これから』
後藤幸平

元日の大地震、予測を超える事態、明るい出来事よりも心配事の方が多い。がしかし、不都合なことの連続にも躊躇することなく前を向こう。
年が明け一月九日をもって、満七十三歳、数えでは七十四歳になった。あと一年で後期高齢者である。敬老会に招待される。いままでは来賓として高齢者への励ましの言葉を探して挨拶をしていた。今度は当事者になる。わが家の歴史でも珍しい長寿域に到達することになる。これからは前人未踏、先にモデルはない。
かつて、冬仕事といえば味噌の仕込みである。味噌煮の前に欠かせないのは麹造りだ。大釜で白米を蒸(ふか)し麹菌を混ぜ室(むろ)にねかして麴にする。その間の作業は、混ぜる、揉む、分ける、菰(こも)をかける、ねかすと数時間おきの手作業で深夜も寝てはいられない。幼い自分も両親に付きまとって室に入った。楽しみは煮豆と麹と塩を混ぜ込んだ後、大きな味噌樽に仕込むとき、古い味噌を取り出し中に仕込まれた味噌漬けを探してみんなで食べる。炊き立てのご飯にかけて食べる。そのうまさはたとえようもなく、なんと十三杯もお腹に入れて動けなくなった記憶を鮮明に思い出す。真冬の味噌屋の台所風景である。囲炉裏には薪がくべられてある。父はにんにくのかけらを熱い灰に埋いけて焼きつまんでいる。ニシンの骨は火であぶって分け合う。自分の心身の涵養はこうして形成された。現在の環境では味わうことは叶わず、思い出話として語り合う人もいまはいない。そして、そのとき、思うのだ。
これからどう生きようか。新春の座談会で十二年後どんな自分でありたいかを皆に聞いた。自分自身はどうなのだろう。何と満八十五歳である。若々しく健康でいたい。そのためには、台所にタイムスリップしてもう一度少年時代の感性と体力を取り戻したい。その上で、この七十年間に生じた落ち穂や発掘し損ねた埋蔵品をもう一度手に取ってみよう。気づかずにいた宝物発見となるかもしれない。
いつまでも、探検家であり、創作者でありたいものだ。

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