このコーナーでは、町内外で活躍する町民の方に活動や町への思いをお聞きします。今回は、町スポーツ少年団に長年携わってきた島貫潤一郎さん(萩生)を紹介します。
◆バレーボール選手から指導者の道へ
島貫潤一郎さん Jyunichiro Shimanuki
今回話を伺ったのは、令和5年度町スポーツ振興賞の功労賞を受賞した島貫潤一郎さん。町スポーツ少年団(以下スポ少)発足準備から関わり始め、40年以上にわたりバレーボール(以下バレー)の指導者として尽力されてきました。島貫さんは、バレーとの関わりをこう語ります。
「幼いころから体を動かすことは好きでしたが、これといった得意種目はありませんでした。中学1年時は野球、2年時は剣道部に所属しました。3年時に体育の先生にジャンプ力があるからバレーに向いていると言われ、バレー部に入部したのがバレーを始めたきっかけです。その後、高校や社会人になってからも続けました。社会人になってからは、仲間とチームを結成し、県大会や都市対抗バレー東北大会、クラブカップ全国大会出場など、仕事と家庭生活以外で大きな割合でバレーに関わる時間を過ごしてきました」。
選手として多くの大会に臨んできた島貫さん。選手を退いた後、町青少年育成推進委員の委嘱を受けることに。
「委員として活動するにあたり、近隣市町の現状を参考にしたところ、町に小学生を対象としたスポ少がないことに気づき、町にも作りたいと思い、関係機関の協力を得ながら準備を進めました」。
準備として、第一小学校区内でスポーツの指導者を募集したところ、野球、サッカー、バレー、ミニバスケットボール、少林寺拳法、卓球の6種目で集まりました。
そして、昭和52年に指導者が中部地区公民館長の委嘱を受ける形で、『わかくさスポーツ少年団』が発足しました。
7月号に続きます
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