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ほくと歴史めぐり

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山梨県北杜市

■横山の無銘巨塔
国道20号の花水坂橋西詰交差点から台ヶ原宿へ向けて、甲州街道の旧道である古道が残っています。舗装されていない土の道で、古い道標や石造物も残されており、江戸時代の旅人の気分で歩くことができます。
花水坂橋西詰から台ヶ原へ向けてこの古道を歩いていくと、右手にこんもりとした雑木林が見えてきます。ここは横山と呼ばれ、織田信長の甲州討伐の際に、陣を置いた場所とも言われているところです。
横山をあがっていくと頂上に幅約1.8m角、高さ約6mもの巨石が突然目の前に現れます。整形するために削った跡はありますが、銘は彫られていません。この石は、日蓮上人の600回忌を記念するため、明治の初め頃、日野の見法寺と白須の蓮照寺の信徒たちが尾白川の上流から引き出し、横山の上に据えられたものです。本来は、釜無川を渡り見法寺まで運ばれる予定であったという伝えもあります。正面に大題目を彫刻し、五穀豊穣、国家安穏を祈念する予定でしたが、資金不足によりこの計画はとん挫し、銘が彫られることはありませんでした。
ちょうどこの頃、新たな花水橋建設の計画があり、明治5年6月に県からこの巨塔を花水橋の礎石として供出するよう諭告がありました。峡中新聞によれば、無用の長物となっている巨塔が人々の行きかう橋の礎石になるならと地域の人々もこの計画を承服したとあります。しかし何らかの事情でこの計画も中止となり、礎石として利用されることはなく現在も横山に残されています。
巨大な題目が彫られた巨塔となっていれば今でも大きな名所となっていたでしょう。計画がとん挫してしまったことは残念ですが、この巨塔からは綱と丸太だけでここまで引いてきた当時の人々の苦労や厚い信仰心を感じることができます。

問合せ:学術課
【電話】42・1375【FAX】32・6497

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