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ほくと歴史めぐり

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山梨県北杜市

■バンザイ峠
須玉町若神子の信号「薬師堂橋東詰」から日野春停車線を300mほど進むと、右手の山肌に沿うように石積みが見えます。この石積みは「バンザイ峠」と呼ばれています。第二次世界大戦中に出征する兵士たちはこの石積みの上で決意表明し、見送りの万歳を背に戦地へと向かったのです。
昭和時代の幕開けは、恐慌とともにありました。大正時代に膨張した経済による物価の高騰に加え、折悪しく干ばつや低温多雨、晩霜(ばんそう)によって米価や繭の価格が低落し、庶民の暮らしは苦しくなる一方でした。昭和4年、アメリカに端を発した世界恐慌は多くの失業者を生み、日本経済に暗雲が垂れ込めます。大陸に不況脱出の活路を見出した日本は、昭和6年の満州事変を皮切りに、ふたたび戦争に突入したのです。
北杜市域にも次第にその影響がおよび、青年たちは徴兵や志願兵として出征しました。当時、長坂駅前などで戦意高揚のための講演会や活動映画会が度々行われており「空前の入場者を以って満たされる」と記録されています。当時須玉町若神子から出征する人は「武運長久(ぶうんちょうきゅう)」や「祝出征(しゅくしゅっせい)」と書かれた日の丸の旗をたすき掛けにし、日の丸の旗を持った親族や村民、隣村の人など総勢500人超の見送りとともにバンザイ峠へと向かいました。出征兵士は石積みに上がると「私はこれから勇んで戦地へと向かい、戦ってまいります。銃後の皆さんは体を大事に励んでください」と決意表明し、万歳三唱ののちに長坂駅・日野春駅へ向かいました。石積みの上にある石碑には「紀元二千六百年若神子青年会」と刻まれています。この年は、初代天皇である神武天皇の即位から2600年の節目を記念し、国を挙げて祝賀行事が行われました。この標記からも、日本が、北杜市域が、戦争の熱狂のさなかにあったことを伺い知ることが出来ます。
終戦から78年が経過し、バンザイ峠の名を知る人は少なくなりました。市内に残る戦争遺跡を見つめなおし、戦争の痕跡が身近にあることを後世に伝えていく必要があります。

問合せ:学術課
【電話】42・1375【FAX】32・6497

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