今月は介護老人保健施設しおかわ福寿の里からのお知らせです
◆「寛容性を考える」
施設長 須田利樹
「子供叱るな来た道だもの、年寄り笑うな行く道だもの」
これは永六輔さんが紹介して広まった言葉で、もともとは浄土真宗の言葉だったらしい。医療や介護をはじめ日常生活で、自分より弱者に対し、イラっとした時に思い出してほしい言葉である。
なぜ、人間は他者にイラっとしてしまうのであろうか?社会生活において、他者との関わり合いは切って離せず、自分と同一でない存在に、多少なりともストレスを感じる。それが心地良いものなのか、不快なものなのかは、その時の状況や、自分の状態によって変わってくる。一瞬で関わり合いが無くなれば、問題ないのだが、不快な感じが続くと「怒り」になり、イライラしてしまう。これはいたしかたないのである。
そのイライラを我慢する、または別のものにすることを「寛容性」と言うのであると思う。はやりの言葉にすると、アンガーマネジメントやダイバーシティ(多様性)になるのだと思う。
「寛容性」を持つためには、自身に余裕が無いといけない。自分と異質なもの(存在)に対し、できるだけ対立せず、柔軟に理解しようと心がけ、受け入れる度量が必要である。その余裕を持つためには、常に自分自身を客観的に理解しようとする努力、感情的にならないように冷静でいようとする努力、柔軟性を持つために色々な知識を仕入れる努力などが必要である。
しかし、残念ながら、理想にそって行動できないのが人間である。ただ、その中でも一番かしこまらずにできる行動が、「共感」する努力であると思う。相手のことを自分に置き換えることで、理解しようとすることは、直感的で行いやすい。
子育てや高齢家族の介護現場の日常において、自分の思うとおりに行動してくれない家族に対し、イラっとして、つい声を荒げてしまう。日々の生活で自分の余裕がなくなってきてしまい、つい怒ってしまい、後で反省する。
もし、イライラしてしまったとき、「子供叱るな来た道だもの、年寄り笑うな行く道だもの」を思い出して、相手と共感してみてほしい。余裕が生まれればしめたものである。
最後に、「怒り」とかけまして、「電球」と説きます。
・・・・・・その心は
「どちらもキレる(切れる)と、周りが見えなくなります。」
お後がよろしいようで。
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