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ほくと歴史めぐり

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山梨県北杜市

■垈場(ぬたば)遺跡の発掘調査成果
全国的に珍しい土偶(写真1)や顔面把手付土器(がんめんとってつきどき)(写真2)が出土し、新聞報道などで注目を集めた武川町・垈場遺跡。昨年度から数回にわたり発掘調査速報を出してきましたが、令和6年8月に発掘調査を終了したため、改めてその調査成果を報告します。
垈場遺跡は武川町柳澤地内に所在する、縄文時代中期(約5,000年前)、中期末〜後期初頭(約4,500年前)、晩期(3,000〜2,500年前)、平安時代(約1,000年前)の集落跡です。
従来、この場所が遺跡であることは知られていませんでしたが、令和4年度に実施した県営ほ場整備工事に伴う試掘調査によって新たに発見されました。約13,000平方メートルという広大な範囲に集落の広がりを確認し、そのうちの約7,700平方メートルを対象に発掘調査を実施しました。
その結果、90軒を超える竪穴住居跡を発見し、遺構内からは多くの縄文土器や石器、土偶などが出土しました。
そのほか、県内では珍しい縄文時代中期末の配石遺構(写真3)が発見されました。石を弧状(こじょう)に配置し、石の下にはお墓と考えられる穴が発見されました。穴の底からはヒスイやコハク製の飾りが出土し、これらを副葬したお墓の上に石を配置したと考えられます。用いられている石は花崗岩(かこうがん)や砂岩が多く、遺跡の近くを流れる石空川(いしうとろがわ)から運び上げられたと考えられ、その量は8トン以上にも及びました。
67号住居からは新たに土偶が出土しました(写真4・5)。全長は11cm、顔と脚が欠損しています。胸は小さくつまみ出されたようなつくりですが、その下に続くお腹とお尻は大きく張り出しており、妊娠している女性の様子をよく表しています。肩からのびる腕は右側にしかなく、その手は子どもが宿るお腹に添えられています。全体的に焼きがしっかりしていることに加え、表面は磨かれており光沢があります。腰からお腹、お尻にかけての造形は、長野県から山梨県にかけて八ヶ岳山麓地域における土偶の特徴の一つです。
数多くの特徴的な遺構、遺物が発見された垈場遺跡。今後は、出土した資料をより詳細に分析し、どのような集落であったのか垈場遺跡の人々の暮らしを紐解いていく作業に入ります。新たな発見がありましたら随時報告していきますので、ご期待ください。
※写真は本紙24ページをご覧ください。

問合せ:学術課
【電話】42・1375
【FAX】25・2019

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