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ふるさとの誇り195 ○(まる)博レポート

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山梨県南アルプス市

◆国指定史跡 桝形堤防整備レポート 史跡を次世代へ結ぶ伝統的な石積みの技術
◇はじめに
国指定史跡桝形堤防は、広大な御勅使川の下を暗渠で横断する徳島堰から、河原の真ん中で分水する水門を守る堤防で、ここで分水された水は下流の六科地内へ引かれ、その水で育まれた水田は同じ史跡の六科将棋頭で守られていました。こうした仕組みは日本でただ一つであり、国の治水と利水を代表する歴史遺産です(※1)。しかし、堤防の役割を終えてから石積の一部が崩れ、石積が欠損した箇所も見られました。また現在も使われている後田水門は危険なため、立ち入り禁止となっています。南アルプス市ではこの貴重な史跡を保存し、多くの方が安全に見学できるよう、令和4・5年度で一般公開(※2)するための整備を進めています。その整備の柱となるのが石積の修復です。伝統的な石積の技術は、現代ではほとんど失われる中、国史跡の中で河川堤防の石積の修復は全国で初めての事例となりました。

(1)石材の調達〜石は修復の貴重な資源〜
欠損した石積の修復には数千個の御勅使川の石材が必要でした。発掘調査の段階から掘り出された石材を選別確保し、不足分は山梨県と韮崎市教育委員会の協力で、調査が終了した釜無川の堤防遺跡の石材を利用することができました。

(2)石積の事前調査〜修復の要〜
現在の遺構は、明治39年の大水害によって流失後改築されたものと考えられていますが、その後部分的な改修が行われているため、時代、堤防の場所ごとの石積の特徴を調査し、修復に活かしました。

(3)全国から集う石工(石積の職人)
伝統的な石積を復元・修復するため、国および県指定文化財の城郭石垣の修復経験を持つ石工が行うこととし、全国から6名の石工が集められ、修復が行われました。

(4)修復範囲と石材の番付
石積修復が必要な区域は主に18箇所ありました。修復の際、それぞれの区域で既存の石の一部を動かす必要があり、それらの石材はすべて番号を付けて、修復後どこに移動したのかを記録しました。

(5)勾配・高さの決定
堤防の勾配や高さを決定し、基準となる水糸を張りました。

(6)石積(落とし積み)
石材は平らな面があり奥行きが長い石が使われます。堤内に深く石が入れられることで、石積が安定するのです。重い石を玄翁で叩きながら角度を合わせ、石材の裏側にぐり石と呼ばれる拳大の石を手で詰め石積の沈み込みを防ぐとともに石積を固定させます。石積の後、石と石の間に合石として小石が充填され、石積は完了となります。

(7)記名・墨書〜修復記録を千年残すために〜
後世に記録を残すため新しく補った石材には令和4年度の修復工事で追加したこと、どの川の石かを裏側に墨汁で年度と川のイニシャルを記名しました。令和4年度御勅使川→「R4M」

▽おわりに〜ともに守り伝える〜
本市の史跡整備は多くの人々と「ともに守り伝える」ことを目指しています。その方針に基づき、新たに補った石材やぐり石に小学生や史跡ツアーの参加者、その他さまざまな方々に名前も記名してもらいました。史跡が多くの人の手によって修復され、洪水と干ばつに挑んできた先人の物語が語り伝えられることを願って。

※1 桝形堤防はハリエンジュなどの樹林で覆われてその存在が忘れられていましたが、平成20年度から行った教育委員会の調査によって、平成26年国指定史跡「御勅使川旧堤防(将棋頭・石積出)」に追加指定されました。
※2 令和6年の春に一般公開予定
※3 桝形堤防の歴史や仕組み、史跡整備の詳細は「桝形堤防史跡整備の歩み1~6」をQRコードでご参照ください。
※QRコードは本紙P.15をご覧ください。

文/写真/イラスト 文化財課

※詳細は本紙P.14~15をご覧ください。

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