文字サイズ
自治体の皆さまへ

ふるさとの誇り189 ○(まる)博レポート

10/26

山梨県南アルプス市

◆山梨初のエスエスは西野から
市内の果樹地帯でお馴染みの真っ赤な丸いフォルムの「エスエス」。行き交う姿をよく見かける季節となりました。通称エスエスと呼ばれるスピードスプレイヤー(※1 以下SS)は、果樹への薬剤噴霧を行う特殊な車両で、非常に細かい霧状にした液体が、樹のてっぺんから葉の裏まで短時間で噴霧できます。
昭和三三年の日付がある上の写真、この日、山梨で初めてのSSが南アルプス市の西野農協に導入され、お披露目されたのです。

◇果樹産業の発展と西野とSS
南アルプス市の果樹産業の歴史は、水の乏しい広大な御勅使川扇状地の開拓の歴史とも言え、徳島堰の開削や先進的な技術開発を取り入れながら活路を拓き、煙草や綿花・麦から桑、明治期以降の果樹の栽培へと産業を変化させ、発展させてきました。特に戦後は徳島堰の水を利用するスプリンクラー網や給水塔の設置等、作業効率化への取り組みが本格化します。そのような中で、西野地域は明治期以降、果樹産業化の中心にいました。
昭和三〇年、北海道のリンゴ農場にアメリカから輸入されたSSが日本で初めて導入され、昭和三二年には国産第一号が長野県に導入されました。翌三三年、農作業効率化への期待を込め、西野農協が、国内メーカーの共立のSS‐1型を山梨県内第一号として導入したのです。
一月二五日、西野小学校校庭に天野山梨県知事を招いて入魂式が行われました。知事より「富士号」と命名され、「果実山梨の名声をとどろかすのは西野農協から」と評されています(※2)。
富士号は、大変大型で専用の運転手が雇われていたそうです。3·63mの噴霧器を長さ2·92mのイギリス製のトラクターでけん引するもので、全体としては7m近くにもなります。その十年後には自走式のSSが主流となり、昭和四十年代後半には、小規模農地での運用に便利な五〇〇リットルタイプの全長3m弱のSSが、市内各地を行き交うようになりました。

◇ちっちゃくてかわいい「SS」
このSS、山梨県では年間約三〇〇台が販売されており、断トツで全国一の販売数だそうです。他の果樹栽培県では、集約した広い農地用に容量千リットル等の大型車が主流であるのに対し、山梨は小型が主流です。
しかも南アルプス市域では一軒の農家が多品目を栽培するという特徴があるので、一品目当たりの農地が小規模になりますし、たくさんの支柱が林立するサクランボ栽培用の「サイドレス」内でも器用に走り回れるコンパクトなタイプが重宝されているのです。南アルプス市の果樹産業とSSには、ともに歩んだ六〇年以上の歴史があるのです。
真っ赤なSSが給水塔と農地の間を行き交い、各家の車庫に乗用車と並んで真っ赤なSSが納まる風景は、南アルプス市の果樹栽培を物語る歴史的景観と言えるでしょう。

※1 メーカーによりスピードスプレーヤなどとも呼ぶが、いずれも略称は「SS」
※2 昭和33年1月発行『果実山梨』

写真・文 文化財課

※詳細は本紙P.14~15をご覧ください。

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU