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ふるさとの誇り191 ○(まる)博レポート

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山梨県南アルプス市

◆小笠原流と日本の心
◇小笠原流(おがさわらりゅう)の祖、小笠原長清(おがさわらながきよ)
平安時代の終わり頃から、全国へと展開し活躍する甲斐源氏(かいげんじ)の一族。伝統ある甲斐源氏の血筋であるということを誇りに、その家風を代々子孫に受け継いでゆきます。
小笠原家は、甲斐源氏加賀美遠光(かがみとおみつ)の次男長清が本拠とした「小笠原」(南アルプス市小笠原)を名字としたことに始まります。甲斐源氏の一族が源頼朝(みなもとのよりとも)によってライバル視され粛清されてゆく中で、小笠原長清は頼朝の信任を得、勢力を伸ばし、鎌倉幕府の中枢で活躍してゆきます。
源氏の伝統「糾方(きゅうほう)(=弓馬故実(きゅうばこじつ)(※1)または弓法)」は父遠光から長清、そして代々小笠原家へと一子相伝(※2)で継承され、長清以降小笠原家は「流鏑馬(やぶさめ)」など「弓馬」に堪能な家柄として活躍し、室町時代の中頃には将軍家の弓馬故実の師範家として定着、武家社会の指導的存在となります(※3)。
江戸時代へと移る頃に「弓」・「馬」の法に「礼」が加えられて「礼法」の基盤が整えられたとされ、武家の作法として受容されていきます。小笠原流礼法を大成したのは戦国期の信濃守護であった小笠原長時(ながとき)やその子貞慶(さだよし)、孫秀政(ひでまさ)の頃といえます。武田家に破れながらも小笠原家であることを誇りに、他流も含め武家の故実の集成・伝授を積極的に行い、礼法の体系化を試み、大成していったとみられています。

◇日本の礼儀作法〜小笠原流礼法
また、長時は戦国期の混乱の中でも伝統が途絶えないよう、一子相伝を解き、近親者などに伝授したことにより、変容はありながらも江戸時代を通して階層を超え、武家だけでなく庶民(しょみん)の間にも浸透していきます。さらに明治期以降は学校教育にも取り入れられ、一層小笠原流の名が庶民に浸透してゆき、現在の日本の礼儀作法の基礎となってゆくのです。
たとえば、現在、贈答の際に用いられるお祝い包み(「折形(おりかた)」)なども小笠原流礼法のひとつで、江戸時代の終わり頃には各種贈答の品目に応じて種類も充実するなど、
小笠原流の名の下に体系づけられてきたのです。
小笠原家の惣領(そうりょう)家に伝わる小笠原流礼法の本質は、「己を慎み、相手を大切にする心を形にあらわした」ものであり、「無駄なく、他から見て美しくある」ものとされ、武家の作法から始まり、現代日本の生活文化の根底に根ざしていると言えます。

◇未来へ
武家の指導的立場となり、現在の生活文化の礎を築いた小笠原家。「相手を大切に思う心」の小笠原家が南アルプス市から始まったことはまさに誇りです。
南アルプス市では、小笠原流礼法を教育課程に位置付け、市内の全ての公立小中学校で心の教育を実践して十二年目となりました。また一般向けの小笠原流礼法講座など、南アルプス市に刻まれた伝統を未来へと継承する取り組みは継続しています。
「相手を大切に思う心」
さぁ、私たちが心をつないでゆく番です。

※1 模範とすべき昔の作法などの決まりや慣わしのこと
※2 他のものには伝えず、後継となる惣領のみが受け継ぐことができる
※3 自家の系譜では鎌倉時代から代々将軍家の弓馬師範であったと記されていますが、裏付け史料に乏しく、資料を紐解く中では室町時代の中頃までしか遡ることができません。

写真・文 文化財課

▽折形(おりかた)
冠婚葬祭で一般的に使われているご祝儀袋やお祝い包みなども元々は紙を折って包んでいたもので、小笠原流礼法の一つです。渡すものの形に合わせて折るので「折形」と呼びます。
現在でも、現金やものを渡すことを「包む」と言うのは、小笠原流礼法が日本人に受け継がれ、馴染んでいる証拠と言えます。

白い紙は「清浄」をあらわし、白い紙で包むことで送り主の心も清らかであり、また、中身をけがれから守る役目もあると考えられています。
贈る「もの」にも、贈る「相手」にも大切に思う心がこめられているのですね。

室町時代には四十種類以上の「折形」が完成していたと言われ、主に伊勢流などで知られましたが、小笠原家が他流の伝統をも組み込み体系化していきます。
江戸時代には小笠原流の名の下に新たに考案されてゆき、江戸時代の終わり頃には400種類とも500種類とも言われる種類の「折形」があったと伝わります。

▽紐結び
古来日本では「結び」や結ぶという行為に、機能面だけでなく、ある種の霊的な力を持つものと受け止めてきたようです(縁結びなど)。そのような中で、機能面での「作業結び」と、魔除けなどの信仰の流れを沿う「儀礼結び」との二方向で発展してゆきます。
寺社など、伝統的な場で用いられる紐結びはほとんどが小笠原流礼法で伝えられています。甲冑の写真にある結びもそうで、「あげまき結び」と呼びます。南アルプス市では二十歳の集いの代表者なども「菊花結び」を胸に付け、また卒業式にも後輩たちが結び贈った「菊花結び」を胸にする学校もあります。

※詳細は本紙P.10~11をご覧ください。

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